こういうキラキラとした一瞬のために、人は生きていくのかもしれない。 小説『メモリー・キーパーの娘』感想

僕は一番好きな文学作品が『童話物語』という作品で。
このブログでこれまで感想をつづった作品の中でも『ラスト・チャイルド』が上位につけていることからもわかるとおり、人が”絶望の中に希望の光を見出す物語”が好きだ。
ボコボコにへこまされた人間、全てをなくした人間が、最後に伸ばした手で本当に大切なものを手にする物語が好きだ。

本作『メモリー・キーパーの娘』は、まさにそういう類の物語。
そして、『童話物語』のように完全にファンタジーが舞台の作品や、『ラスト・チャイルド』のような少年が主人公の物語と違い、これからの人生で自分の身に起こりうる”絶望”を描いた作品でもある。
もちろん、本作で僕自身を投影可能な人物・ディビッドがとる“ある選択”を自分が選ぶことはありえないんだけど、本作における”絶望”は”選択”そのものがもたらすものではなく、”選択”したことにより家族の中に”嘘”を持ちこんだことによるものだ。
だから、昨今話題の”浮気”だったり、例えば妻に内緒の”借金”とか”薬物”とか。
そういった”家族には秘密だけど、家族に大きな影響を与えるもの”、いうなれば”爆発したら家族を粉々に粉砕してしまう破壊力をもった爆弾”を家庭に持ち込む可能性は絶対にないとは言い切れない。
そういった”爆弾”を抱えた男が、家族の中でどれだけ孤独で、絶望的な人生を歩むのか。
そのシミュレーションとしても、本当に読み応えのある作品だった。

内容紹介

1964年のある大雪の夜。医師デイヴィッドと妻ノラは、男女の双子に恵まれるが、女児はダウン症だった。
デイヴィッドは妻を悲しませたくないがために、とっさに娘を人手に渡し、妻には死産だったと偽るのだが…。
一見裕福で幸せそうな夫婦、娘を預かった孤独な女、別々に育てられる兄妹―たったひとつの嘘によって、それぞれの人生がもつれた糸のように複雑に絡み合ってゆく。
口コミで広まり、1年半にわたって全米ベストセラーとなった異例の小説。
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というわけで、家族を持つ男にとっては、共感の対象になりうるディビッドという人物が本作の主人公。
ただ、共感できるとはいえ、どれだけ贔屓目に見ても彼は”クズ”だ。
彼はというか、彼のした”選択”は非常にひどい。
もちろん描かれた時代が今とは違うというのもある。
ダウン症に対する偏見は強く、“「まあ、お気の毒に! こんなことになったらどうしよう、って私がいつもうなされる悪夢が、あなたにとっては現実なのね」”という周囲の人のリアクションや、“「本当にいいんですね?」看護師は顔を上げ、彼女と目を合わせた。「本当にドクターを呼んでほしいんですね?」”という看護師のリアクション(つまり、このまま見殺しにすることもできますよという囁き。これが看護師の”善意の台詞”という時代。)からも、時代や文化の違いは考慮する必要はあるだろう。
ただ、それでも、ひどい”選択”としか言いようがない決断をディビッドは下すのだ。

ディビッドがその選択に至る明確な理由は後々に明かされてくるが、それにしたって、許される選択ではない。
そう思いながらも、やはりディビッドという人物を責められない自分に気づかされる。

結婚し、親になった今だからこそ、ディビッドの選択を許せないんだけど、同時に、親になった今だからこそディビッドの想いが理解できてしまうのだ。
“すくなくとも息子は、悲しみから守ってやることができた。自分のように、妹を失う悲しみを経験せずに成長するだろう。両親が妹にかかりきりのせいで、ひとりで人生を切り拓かなければならない孤独を味わう必要もない……。”。
妹の死と、それまでの生活を知っているからこそ、兄であるポールを守ろうとした。
もちろん、正確にはポールを守りたいのではなく、かつての自分自身を守りたいという弱さなんだけど、その弱さは家族に対する優しさであるはまぎれもない事実だ。

彼の抱えた秘密の大元の理由は”家族という病”だ。
”家族”という関係性に一抹の悩みや迷いを持たずに生きられる人間などいるはずがないんだ。
親との関係、子どもとの関係。”絶対”なんてものがない不確かな中を、誰もが迷いながら命がけなのだ。
その中で犯した”罪”を責めることなんてできるのか?

ちょっと前に、子どもを山中に置き去りした親のことを責めまくる人たちを見たばかりなので、その問いの結論は出ている。
子育ての中で迷いながら犯した”罪”を責めること、人にはそれが出来る。
でも、果たして、あの父親を責めた人の中に”親”はいただろうか。
少なくとも僕には責められなかった。親としての自分に、あの父親を責める権利を見出だせなかった。
そもそも、人に人を責める権利はあるのか?と言えば、それも定かではないけれど、せめて自分に権利がある時だけ人を責めたいものだ。

えー、何の話をしているのかわからなくなってきましたが、これは『メモリー・キーパーの娘』の感想。
タイミングがタイミングだっただけに、いろんなことを考えながら、「親になるっていうのは弱くなることなのかもしれないなー」なんてことを考えていた。
「良くないことだと思うが責めることができない」。物語の主人公に(そして、あの事件の父親に)対するそんな思いを抱きながら、同じ絶望の中を歩かされるような、そんな読書体験だった。

物語としてはとても面白い、だけど読んでいると辛い。。
「早く続きが読みたい」という気持ちと、「もう1ページも読みたくない」という気持ちが拮抗する中で、ページ数の割に読了までにかなりの時間がかかった。
でも、たまにはこういうヘビーな読書も悪くないんです。

また、本作は”視点”もまた魅力的な作品だった。
ディビッドが犯し、そして家庭に持ち込んだ”罪”。
その罪が巻き起こす不協和音はやがてディビッドの妻ノラの”罪”も引き起こす。
家庭内は絶望的だが、物語の視点は彼らを責めるでもかばうでもなく、常に冷静だ。

一方、施設へ送られるはずだった娘を引き取った女の人生も同じように波乱万丈に満ちている。
彼女の”選択”はディビッドの”罪”と背反する”救い”であり、彼女の行為は間違いなく”善いこと”だ。
だけど、この物語はおとぎ話ではない。
”善いこと”をしたらからめでたしめでたし幸せに暮らしました。という単純なものではないのだ。
罪を犯したものも、善いことをしたものも、それぞれの家族に絶望や救いがあり、それは家族が壊れてしまうまで、もしくは自分が死ぬまで続くのだ。

物語の視点はまさにその事実だけを冷酷に伝えるように、並走する二つの家族の人生を、どちらに寄ることなく淡々と描写していく。
本作のタイトルにも使われている『メモリー・キーパー』はカメラの名前で、「写真」は本作における重要な要素の一つだ。
「写真」のように、二つの家族の四半世紀にもわたる長い年月を、良いところも悪いところも余さず切り取って並べたような視点。
ただし、その視点は壊れてしまった家族を、不器用ながらも愛し続けたディビッドのファインダー越しの視点のように、どこか優しい愛にあふれていた。
そして、物語の最後、その不器用な優しさは、かろうじて家族にと伝わっていくし、少なくともこの物語の最後を飾る1枚の写真(そう、2枚ではなく1枚の!)は、幸せに満ちた写真だった。
ディビッドの罪は決して許されてはいないが、根本的に”愛”で始まった行為は、数々の絶望を導いたものの、最後の写真は幸福な写真を生むのだ。
本当に苦しくて読むのがつらい物語だったが、この最後の一瞬は、読者である僕をも幸せにしてくれた。
人生は長く、親になると責任や重圧も重い。
24時間365日を幸せでいることはなかなか難しい。
でも、こういうキラキラとした一瞬のために、人は生きていくのかもしれないなーと思った。

さて、話は急に変わるが、本作において”ダウン症”というのは大きなテーマだ。
僕は今年2児の父になった。
2度の妊娠期間、ダウン症という病気のことを心配しない日は無かったし、こんなこと言っちゃいけないのかもしれないけど、ダウン症じゃなかったことにめちゃくちゃ安心したんです。
ただ、「障害=不幸」ではないという、考えてみればすごく当たり前のことを本作を読んだことで気づかされました。
これから先、子供を育てていくうえで、悩んだり苦しんだりすることはあるし、子供は将来巣立っていって寂しくなることもあるし、今予想にもしてなかったこともあるだろうし、家族に”嘘”をつくこともあるかもしれない。
でも、そうやって家族というものは紡いでいくもので、いつでも常にハッピーとは言えなくても、ある瞬間に家族みんなが笑える時間がこれから何度か訪れたとしたら、人生ってそれで十分なんだよな。と、そんなことに気づかされる作品でした。

もちろん、今が幸せだからこんな余裕のあることを言ってられるだけで、キツイ時期に読むとまた違う感想を持つ本なのかもしれません。
でも、これから家族を持っていきたいすべての人に、一度手に取って読んでもらいたいなーと思う作品でした。
みんな、悩みながら、苦しみながら、幸せになりましょう!

映画化もされているようです。
メモリー・キーパーの娘 (字幕版) @iTunes
メモリー・キーパーの娘 (日本語吹替版) @iTunes
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