汚ぇ面で見上げる青空。そして彼女の視線の先には… 映画『バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)』ネタバレ感想

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今年のアカデミー賞作品賞受賞作。さらに、監督賞、脚本賞、撮影賞の四冠!ということで4月公開映画の中でも最注目作である本作「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」。
日本では「日本版のポスターダサすぎ!」問題でも話題になったり(個人的にはあのポスター批判は完全にデザイン知らない人の難癖だと思っていたんですが、批判を受けて突貫のオリジナル翻訳しただけポスターと差し替えられてしまってさらに悪い結果になってしまったのは残念です。。。)していて、公開前から変な盛り上がりを見せてしまったのも、重要作品ならではでしょう。

最近はほとんど映画を観ていない僕もさすがにこの作品は無視できない!ということで、早速の鑑賞となったわけですが、いやー、これは凄い!!
断片的に見聞きしていた情報から、「“アート系”の雰囲気バリバリの画」と「“役”に飲み込まれていく役者の狂気を描いたストーリー」が売りの映画だと思い込んでいたんですが、なにより、誰が見ても一目で凄いとわかる映像表現が凄い映画でした!

受賞したことを知ったうえでこんなこと言うのはズルいんですが、「アカデミー賞四冠」も納得の傑作でした!

「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」の作品概要

2014/アメリカ 上映時間:120分 PG12
原題:Birdman or (The Unexpected Virtue of Ignorance)
配給:20世紀フォックス映画
監督:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
出演:マイケル・キートン、エドワード・ノートン、エマ・ストーン、ナオミ・ワッツ、ザック・ガリフィアナキス

<あらすじ>
かつてスーパーヒーロー映画「バードマン」で世界的な人気を博しながらも、現在は失意の底にいる俳優リーガン・トムソンは、復活をかけたブロードウェイの舞台に挑むことに。レイモンド・カーバーの「愛について語るときに我々の語ること」を自ら脚色し、演出も主演も兼ねて一世一代の大舞台にのぞもうとした矢先、出演俳優が大怪我をして降板。代役に実力派俳優マイク・シャイナーを迎えるが、マイクの才能に脅かされたリーガンは、次第に精神的に追い詰められていく。

感想

94 100点満点 scored by ultimate-ezバードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡

というわけで、役者陣の演技や狂気のストーリーもさることながら、映像表現の凄さに度肝を抜かれた本作。
なんとこの映画、2時間の映画をほぼ1ショットの長回しで表現しているんですよ。

といっても、もちろん完全な1ショットではなく、数日間の物語を1ショットに見えるようにシームレスにつないで構成されているんですが、その“つなぎ目”はまったく認識できません。
さらに、主人公のリーガンは様々な葛藤により現実と幻覚との区別がつかなくなっている人物なんですが、この「現実」と「幻覚」も映像の中でシームレスにつながっていて、まさに「現実と幻覚の区別がつかない」という状態が映像化されているんです。

幻覚の表現もしっかりと手が込んでいて、手を使わずに物を動かす超能力的な描写(実際はリーガンが物を動かしているんだけど本人には知覚できない状態)から、リーガンの別人格であり幻覚世界の主でもある「バードマン」の具現化。さらにリーガンが空を飛んだり、巨大な怪物(バードマンの敵キャラ?)が街を襲ったり。
地味なところから、わかりやすくCG全開の派手なものまで多岐にわたる“画”が同じカットの中に存在しています。

さらに、本作は舞台演劇をテーマにした作品なので、劇中劇「愛について語るときに我々の語ること」も主題のひとつとして描かれていて。その練習風景や舞台本番の様子も、1つのカットの中で現実とつながっていきます。

「現実」「幻覚」「舞台上での演技」「昨日」「今日」「明日」。
そんな、様々に変化していく世界観を1つの連続したシーケンスとして表現することで、観客もまた、息継ぎのできない一つの時間軸の中にどっぷりと誘い込まれてしまいます。
世界へ誘うドラムロールのような音楽もサイコーでした!

本作の撮影監督は、あの『ゼロ・グラビティ』のエマニュエル・ルベツキなんですが、2年連続のアカデミー賞撮影賞受賞も納得の映像表現。さすがです!

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こういう少し変わった技法を使った映画がアカデミー賞作品賞を受賞したと言えば、2011年の『アーティスト』の白黒無声映画が記憶に新しいですが、『アーティスト』は単に白黒で無声映画という手法で奇をてらった映画ではなく、その手法が物語において大きな意味を持っているのが大きな特徴であり、魅力の映画でした。
手法が、というかその手法が崩れる瞬間。つまり、世界が無声映画ではなくなる瞬間が映画において非常に重要な役割を果たしていました。

同じように、本作においても、全編1ショットという特殊な世界が、映画のラスト15分ほどの時点で終わりを迎えます。
このカット。
1時間45分もの長いショットに、ここで唐突なカットがかかるんですが、やはり、この瞬間が、作品世界において非常に重要なポイントになっています。
つまり、ここで大きく世界が変わるわけです。

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※ここから先は、本作のオチに関わるネタバレが含まれるうえに、作中ですべてを語らず観客に解釈を委ねている部分があるため、僕の解釈が大幅に間違っている可能性があります。そこんとこよろしく!!
 
それまでも現実と幻想が混じった映像ではありましたが、ラスト15分で描かれる世界は、それとは一線を画す、あまりにも“理想的”な世界。

劇中劇として描かれていた「愛について語るときに我々の語ること」の世界に飲まれたリーガンが、本物の銃で自分の頭をぶち抜いた、と思いきや吹き飛ばされたのは鼻だけで無事に生きていたこと。
鼻を覆う包帯とギブスはまるでバードマンの仮面のよう。そしてその包帯+ギブスを自らの意思で脱いだリーガンには、もうバードマンの声は聞こえないこと。
バードマンの仮面(包帯)を脱いだリーガンの目に映る空は、美しい青空であること。
作中でリーガンが望んだように、娘サムが花と花瓶を持って現れること。
そして、映画の最後にサムが向ける視線の先。
その全てが、それまでの途切れない現実に比べ、甘く、思い描いていた通りの世界になっています。

あまりにも理想的なこの結末。そして、そこに、なぜかコメディー映画のオチを思わせる誰かの笑い声が乗っかりながら、エンドロールへと突入していきます。

映画の開始からの1時間45分と、ラストの15分。
意識的で明確な”カット”により分断されたこの2つの時間には何の意味があるんだろう…。そういう問題を観客に投げかけてくる非常に印象的な結末です。

どう考えても、この映画のラスト15分は、それまでの1時間45分とは別の世界の話。
この二つの世界は一体なんなんでしょうか。

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ここから先はあくまで僕の解釈にすぎませんが、このラストを見せられては、やはりリーガンは1時間45分の時点、舞台の上で自分の頭を銃で撃ち抜き、死んだんだと思わざるを得ません。
そして、そこから先のラスト15分は、「リーガンが見たかった理想の世界」であると同時に、この映画をここまで見てきた観客である”僕”が見たかった理想の世界なんだと思うんです。
汚い面のリガーンが見上げる青空はあまりに美しく。サムの視線はあまりにも理想的。
そして、これこそがこの物語の結末として、観客が望む結末なのではないでしょうか。
そして、その”理想”の産物は、どこかの誰かに笑われてしまうような類のものなんだってことなんじゃないでしょうか。

もちろん、あの”カット”の瞬間に死んだのはリーガンではなくバードマンで、ラスト15分はバードマンの呪縛から解放された世界と捉えることもできるでしょう。
ラストのサムの視線は、薬物依存を患っていたサムが捉えた「自由になった父の姿」と捉えることもできるとは思います。
事実、サムがいる窓の下からは何か不幸な事故が起きたような喧騒が聞こえており、これが現実だとしても成立はしています。

ただ、1時間45分の時点で撃ち殺したのがリーガン自身ではなくバードマンなのだとしたら、目覚めたリーガンが明らかにバードマンを意識させる姿なのはちょっとおかしい気もするわけで。
やはり、ラスト15分は現実ではない「観客の理想の産物」と捉える方がしっくりきます。
もしかしたら全然違う意図で制作されたエンディングかもしれませんが、アレハンドロ監督ってばなんていじわるな結末を用意したんだよ!!!

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ただ、そんな”理想”の世界にも一つだけ真実があるように感じます。

ラスト15分の世界で、リーガンの相棒ジェイクがスイッチを入れたテレビの中には、リーガンを見舞い、花をたむける演劇ファンたちの姿が映し出されています。
ただその映像では、演劇ファンはリーガンの回復を祈っているというより、死を痛んでいるように見えます。
つまり、この非現実で理想の世界において、テレビに映し出されている映像は、「理想の世界の外=現実」なんじゃないかと思うわけです。

となると、テレビだけでなく“新聞”に掲載されているものも「真実」と考えるのが自然でしょう。
つまり、文字通り演劇に命を捧げたリーガンの姿は、願っていたとおりの理想とは違うかもしれないけれど、「無知がもたらす予期せぬ奇跡」と称されるほどの素晴らしい奇跡を現実に起こした、と。
偶然が重なった結果だったとしても、確かに「奇跡」を成し遂げたんだと、そう思えてくるわけです。

それこそ「理想の結末」にすぎないのかもしれないけど、そんな奇跡を感じるラストで、僕はその奇跡にすっかりと感動させられてしまいました。

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というわけで、長々と感想を書いたわりに、この解釈が完全に間違っているかもしれないんですが、僕はこの映画を、こういう風に鑑賞し、感動しました。
 
もっとシンプルに、「バットマンの一発屋(こう書くと失礼だけど。。)のマイケル・キートンが、バードマンの一発屋を演じるというセルフパロディーっぷりがすごい!演劇版のレスラーだ!」という魅力があるのも間違いなく。エドワード・ノートン、ナオミ・ワッツ、ザック・ガリフィアナキスといった役者陣のハマりすぎの演技は一見の価値があります。
そこを見ると『ブラック・スワン』なんかにも通じるものがあります。それはそうと、ハングーオーバーシリーズしか知らなかったけど、ザック・ガリフィアナキスってちゃんと普通の人も演じられるんだ!あくまでコメディーの文脈における”普通の人”ではあるけど。

そして、何よりエマ・ストーンがラストのコマで見せるあの表情。
あの表情この映画の余韻を決定的に決めていて、あの表情があってこそ本作は成立していると言っても過言ではない素晴らしい表情でした。

そう考えると、本作が主演男優賞をはじめとする演者の賞を取ってないのが意外!
ただ、役者陣の凄さもかすんでしまうほど、表現と脚本が凄すぎた、というのも影響あるのかもしれません。

本当に凄く、素晴らしく、興奮が止まらなかった本作。
アカデミー賞受賞作であり、今年を代表する映画の一つであることに全く異論のない映画でした。
いやぁ、やっぱり映画っていいな~。
 
最後に、この映画を見終えて映画館を出たら、間違いなく空を見上げたくなると思います。
そして、その空はきっと青空の方がよいでしょう。
というわけで、晴れた日の朝に鑑賞することをオススメしたいと思います!