魍魎とはな、境界だ。 小説『魍魎の匣』ネタバレ感想

魍魎の匣(1)【電子百鬼夜行】

『姑獲鳥の夏』に続き、2冊目の京極作品を読みました。
今年の目標として、「このミステリーがすごい!ベスト・オブ・ベスト40冊を全部読む」なんてことを実施中なんですが、これでようやく3冊目。
超スローペースではありますが、多くの人が認める“ミステリーの名著”は、やっぱり面白い本揃い!
本作『魍魎の匣』もさすがの名作で、本作を読むために前もって読んだ前作『姑獲鳥の夏』を大幅に上回る魅力がある物語でした。

ただ、本作に関する感想は、何よりもやっぱり長い!。そして厚い!
疲労感すら覚える読書体験で、読み終わったことの達成感にこそ気持ちよさを感じてしまうような作品でした。

『魍魎の匣』の概要

1995/日本
著者:京極夏彦

『魍魎の匣』のあらすじ

匣の中には綺麗な娘がぴったり入ってゐた。箱を祀る奇妙な霊能者。箱詰めにされた少女達の四肢。そして巨大な箱型の建物―箱を巡る虚妄が美少女転落事件とバラバラ殺人を結ぶ。
探偵・榎木津、文士・関口、刑事・木場らがみな事件に関わり京極堂の元へ。果たして憑物は落とせるのか!?日本推理作家協会賞に輝いた超絶ミステリ、妖怪シリーズ第2弾。

感想

80 100点満点 scored by ultimate-ez魍魎の匣

というわけで、文字通り「箱」にすら見えてくる文庫版の厚さのインパクトがすごい、長大ミステリーだった本作。
いや〜、本当に長かった。

前作『姑獲鳥の夏』にも同じように“長い”という印象を持ち、その作風自体は「決して好きではない」という趣旨の感想を書いたんですが、『魍魎の匣』は、その「決して好きではない」はずの要素をさらに“突き詰めた”結果、もはや“突き抜け”てしまい。
気がつけば、完全にこの作風が「好き」になってしまうような作品でした。
京極堂の話し口調に感化されすぎて、自分の書く文章が回りくどくなっている気が。。。読みにくくてごめんなさい。。。

正直、前作で感じていた「こういうところが苦手」と思う部分は本作でもまったく変わっていなくて。
例えば、事件解決に至る展開は基本的に「後出しじゃんけん」的で、探偵役の京極堂が超人的に“すべてを知っている”人物。
なぜそういう推理がなされたかの説明はありません。
前作と同じく「人体消失トリック」が作中で描かれるんですが、「目の前にあったけど見えなかった」という前作ほどではないにしろ、本作の「消失のタネ」も、決して“フェアな謎解き”として腑に落ちるものではないんですよ。

そういう意味では、(このミステリーがすごいの歴代3位という位置づけの作品に対してこんなことを言うのもなんですが)「ミステリーとして極めて優れた作品」と思えないのは、前作を読んで感じた感覚と大きく変わってはいません。

ただ、(これまた前作に感じた印象と同じですが)ミステリーとしてアンフェアな部分を“細かいこと”として吹き飛ばす圧倒的な情報量がすごくて。
この膨大な情報の物量に飲み込まれ、「面白い」と思わされる独特の読書体験は、2作目にして早くも“クセになる”作風です。
“謎解き”ではなく“憑き物落とし”として事件にかかわるのが京極堂のスタンスなので、ミステリーとしてのフェアさを求めるのが、そもそもの間違いなのかもしれませんしね。

さらに、情報量で言えば、本作は前作の倍近いわけで。
京極堂の舌も、前作以上に冴えわたっていて。
事件解決のためのベースとして、京極堂の口から何が語られるのかと言えば、それはタイトルにもなっている「魍魎」について。
「歴史」「宗教」「心理学」など、多岐にわたる薀蓄が複雑に絡み合いながら語られているんですが、その繰り返しの中で「魍魎」という形がなく得体のしれないものが、読者の頭の中におぼろげながらも形成されていくんですよ。

最終的に、京極堂本人の口からは、

魍魎とはな関口。境界だ。文庫版 魍魎の匣 (講談社文庫) 京極夏彦 [1011ページ] より

という言葉で、“結論”が語られるんですが、この言葉自体にはほとんど意味はなく。
そこに至るまでに、あらゆる角度から語りつくされた「魍魎」という“イメージ”が、この言葉でわずかに“具体的な形”を成す感覚だけが、フワッと体を通り過ぎていくような…
我ながら何を言っているのかわからなくなってしまいましたが、そういう「言葉ではうまく説明できないんだけど、感覚的には理解できるもの」として、気が付けば「魍魎」がしっかりと定義されていたんです。
言葉ではうまく説明できないので、他人にはうまく説明できないんだけど、自分の中では納得できているんです、これでも。

いやぁ、読み終わってみれば、あれほど遠回りで回りくどく感じた京極堂の薀蓄の数々が、実はひとつも無駄が無く、本作において最も重要な「魍魎」をしっかりと描写していたことに感動を覚えます。
ある出来事や、ある人物を描写するだけではなく、“文学”ってものはこういう“漠然としたイメージ”さえもしっかりと描写することができるわけで。
「小説」とういメディアの持つ可能性の幅ってやっぱりすごい!と思うと同時に、「魍魎」という曖昧なものを、曖昧さをのこしたまま理解できる存在に落とし込む京極夏彦という作家の表現スキルに、ただただ驚きと感動を禁じえません。

というわけで、二作目にしてしっかりと京極夏彦の魅力にヤラれてしまいました。(今さら!)

さらに、『姑獲鳥の夏』以上に突き詰められた「オカルト」要素も、本作の魅力。
「○○殺人事件」的な推理物によくある、「オカルト」要素がミステリーの舞台装置や“見立て”として機能するだけの作品とは違い、オカルト部分にもしっかりとした民俗学的薀蓄と、京極堂の解釈が乗っかっていて。
ミステリーの一部ではなく、オカルト小説としての読みごたえも満足度が高い点もすごく好みです。

また、ミステリーの肝でもある「殺人」という行為に対する描写も秀逸。
要素だけにばらせば、本作の事件性がは決して目新しいものではなく、最後に物語の核心に位置する人物・美馬坂幸四郎という男も、いうなればマッド・サイエンティストなんですが、そういう横文字での呼称が似合わない雰囲気があります。
これは僕だけが持つ感覚で、あまり共感してもらえないのかもしれませんが、西洋と日本を比べた場合、日本の文化の中にあるものって、どこか“湿度”を感じるんですよ。
文学においても、日本の文学作品って、どっかジトっした湿気を感じるといいますか。
本作における美馬坂幸四郎という男も、そして彼が“患者”に施した処置も、海外ミステリーで描かれるマッド・サイエンティストたちの犯行とは、何かが決定的に違っていて。
それが、近代日本を舞台にした小説だから持つ“湿度”なんじゃないかと思うわけです。

この“湿度”の有無。
どちらが正しいというわけではないんですが、例えば近年の海外ミステリーで「マッド・サイエンティスト」を描いた傑作『私が、生きる肌』がありますが、ああいう作品に感じる圧倒的な「美しさ」を本作に感じることはありません。
その代わりに、行う行為の「生々しさ」「おぞましさ」がじとっと迫ってくる感覚がありまして。
これはこれでまったく別種の「美」を感じてしまいます。

この「美」は言うなれば、江戸川乱歩や夢野久作の文章に感じるものに近い日本文学の“狂い”の美しさ。
逆にこれは海外ミステリーではなかなか味わえない感覚なわけで。
「国内ミステリーらしさ」「国内ミステリーの魅力」を堪能できるという意味でも、満足のいく物語なのでした。

京極夏彦作品は、続く『狂骨の夢』『鉄鼠の檻』もやはり“レンガ”とも称される厚さがあるようで。
シリーズ読破は果てしないたびになりそうですが、すっかりシリーズの魅力にはまってしまったわけで、ボチボチのペースで続編も読み進めようと思うのでした。

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