カリスマのカリスマ性はどこに宿るのか?【昨日思ったこと】

ほら、アレじゃないですか?
昨日、日本中が思ったじゃないですか「誰やねん?」って。
「お前、誰やねん?」って、たぶん日本中の全員が思ったんじゃないかと思うんですよ。

で、確認してみたら、、、

Genius
「お前だったのか!」と。
「やっぱりお前だったのか」とね。
そう確認できたわけです。
(Photoshopは買ったものの、マウスもペンタブレットも手元に無かったのでMacのトラックパッドでのお絵かきになってしまって。ヒドいクオリティなのは許してください。)

でもね。
そこでふとPhotoshopのレイヤーのとこを見てみるとね。
「アレ?」って。

スクリーンショット 2014 03 08 12 53 13

この時点で、既にアイツがいるぞ!って。
「レイヤー5」にアイツ、いるぞ!って。
もはやこの「レイヤー5」をかぶせれば、下が誰の写真でもアイツはいるぞ。
アイツはまだいるぞ!ってことに気がついたんですよ。

Genius
そう、僕らが認識している“アイツ”の本質は「レイヤー5(グラサン+黒髪ロン毛+ヒゲ)」の部分にこそあって。
それを取り去ったアイツはもはやただの「佐村さん」くらいの存在感なわけです。

コレって多分、意外に深い話。

丸メガネがジョン・レノンに見えてしまうように。
イマジン~ピアノとチェロのためのジョン・レノン・クラシックス

七三分け+ちょびヒゲでヒトラーに見えてしまうように。
Teapot looks like hitler

シルクハット+ちょびひげのチャップリンとか。
ハット+手袋でマイケル・ジャクソンに見えたりとか。

そう考えると、カリスマと呼ばれる人の「カリスマ性」って、「たった一言」で表現できるような極めて特徴的な一部分にこそ宿るのかも。
そして、それは具体的であるよりむしろ、抽象的に表現できるほうがよいのではないか。
と、そんなことを思うわけです。
その最たるものが、円3つをそう見せてしまう”アレ”。
もはや日常生活のあらゆるところにまで“隠れミ○キー”を感じさせるアレの抽象化力はスゴいです。

「偶像」に近づくからなのかな。

そういう意味では、件のあの人も、自己演出のプロデュース力だけはホンモノだったのかもな〜と思うわけで。
おそらく、例え同じようなやり方で曲を発表していたとしても、今の「佐村さん」状態の見た目では、あそこまで有名にはなってなかったでしょうからね。

そして、この考え方ってモノづくりにも当てはまるところがあるのかも。

コンマ数秒で認識できるほどの、“パッと見”の何か。

それを持つことが超強力な武器になるし、それを持たないことは「価格競争」やら「サービス競争」やら、喰い合いの世界に足を踏み入れることになってしまうのかも。

これから自分が世の中に出していく製品やサービス。
そこに「佐村さん」を「佐村河内守」に見せるような“何か“をどう盛り込んでいくか。
それを考えるのも超重要なことだな〜と、そんなことを思うのでした。

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