ほら、アレじゃないですか?
昨日、日本中が思ったじゃないですか「誰やねん?」って。
「お前、誰やねん?」って、たぶん日本中の全員が思ったんじゃないかと思うんですよ。
で、確認してみたら、、、
「お前だったのか!」と。
「やっぱりお前だったのか」とね。
そう確認できたわけです。
(Photoshopは買ったものの、マウスもペンタブレットも手元に無かったのでMacのトラックパッドでのお絵かきになってしまって。ヒドいクオリティなのは許してください。)
でもね。
そこでふとPhotoshopのレイヤーのとこを見てみるとね。
「アレ?」って。
この時点で、既にアイツがいるぞ!って。
「レイヤー5」にアイツ、いるぞ!って。
もはやこの「レイヤー5」をかぶせれば、下が誰の写真でもアイツはいるぞ。
アイツはまだいるぞ!ってことに気がついたんですよ。
そう、僕らが認識している“アイツ”の本質は「レイヤー5(グラサン+黒髪ロン毛+ヒゲ)」の部分にこそあって。
それを取り去ったアイツはもはやただの「佐村さん」くらいの存在感なわけです。
コレって多分、意外に深い話。
シルクハット+ちょびひげのチャップリンとか。
ハット+手袋でマイケル・ジャクソンに見えたりとか。
そう考えると、カリスマと呼ばれる人の「カリスマ性」って、「たった一言」で表現できるような極めて特徴的な一部分にこそ宿るのかも。
そして、それは具体的であるよりむしろ、抽象的に表現できるほうがよいのではないか。
と、そんなことを思うわけです。
その最たるものが、円3つをそう見せてしまう”アレ”。
もはや日常生活のあらゆるところにまで“隠れミ○キー”を感じさせるアレの抽象化力はスゴいです。
「偶像」に近づくからなのかな。
そういう意味では、件のあの人も、自己演出のプロデュース力だけはホンモノだったのかもな〜と思うわけで。
おそらく、例え同じようなやり方で曲を発表していたとしても、今の「佐村さん」状態の見た目では、あそこまで有名にはなってなかったでしょうからね。
そして、この考え方ってモノづくりにも当てはまるところがあるのかも。
コンマ数秒で認識できるほどの、“パッと見”の何か。
それを持つことが超強力な武器になるし、それを持たないことは「価格競争」やら「サービス競争」やら、喰い合いの世界に足を踏み入れることになってしまうのかも。
これから自分が世の中に出していく製品やサービス。
そこに「佐村さん」を「佐村河内守」に見せるような“何か“をどう盛り込んでいくか。
それを考えるのも超重要なことだな〜と、そんなことを思うのでした。
コメントを残す