この世には不思議なことなど何もないのだよ― 小説『姑獲鳥の夏』(京極夏彦)ネタバレ感想

姑獲鳥の夏(1)【電子百鬼夜行】

今年の課題図書として「このミステリーがすごい!ベスト・オブ・ベスト」の40冊を全部読んでみようと試みているんですが、国内編第3位『魍魎の匣(京極夏彦)』への布石として、シリーズ前作にあたる本作『姑獲鳥の夏』を読んでみました。
(これ自身も「このミステリーがすごい!」1995年の第8位だし「東西ミステリーベスト100」の国内編第23位ということで、受賞作を全部読んでみよう!という目標は無駄にならないし!)

僕は「ミステリー好き」と言いつつ、恥ずかしながら京極夏彦さんの作品を読むのはこれが初めて。
ネットでの評判を見る限りかなり好みが分かれる作家みたいで、かつ、“ほぼ立方体”と言っても大袈裟じゃないほどのブ厚すぎる文庫を見るとなかなか手が出なかったんですが、、、
うーん、確かにこの作風は好みが分かれるのも納得!!
「面白い」「面白くない」で言えば間違いなく面白かったんですが、それは僕自身が作品を楽しんだというより、「圧倒的な物量で押し切られた末、「面白い」と思わされてしまった」という読後感。
うーん、“独特”です!

『姑獲鳥の夏』のネタバレ感想

1994/日本
著者:京極夏彦

あらすじ

「二十箇月もの間子供を身籠っていることができると思うかい?」。
昭和27年の夏、三文文士の関口巽(せきぐちたつみ)は東京は雑司ケ谷にある久遠寺(くおんじ)医院の娘にまつわる奇怪な噂を耳にする。しかも、密室から煙のように消えたというその夫・牧朗は関口の旧制高校時代の1年先輩だった。

感想

67 100点満点 scored by ultimate-ez姑獲鳥の夏

というわけで、「面白かった or 面白くなかった」の基準で考えると「面白かった」本作『姑獲鳥の夏』ですが、やっぱりこれ、「好き or 嫌い」の基準で考えると決して「好き」ではなかったな、という印象の作品でした。
というのもこの作品、ミステリーとしてはかなり“強引”と言いますか、力技で着地させている作品なんですよ。

これが、ネットで言われる「好き嫌いが分かれる」という作風なのか、それともデビュー作ゆえの荒削りさなのかは一冊読んだだけでは判断できないんですが、事件解決に至る展開は基本的に「後出しじゃんけん」的。
“謎解き”に必要な情報をすべて読者に提示したうえで「さあ、誰が犯人でしょう?」という“フェア”なミステリーではなく、次から次へと「それまで開示されていなかった新事実」を積み上げて、事件は勝手に解決されていきます。
さらに、その「新事実の開示」の方法も、探偵役にあたる“京極堂”という人物による口頭説明ばかりで、状況描写から読者が“察する”余地ってものが全くありません。

そういう意味で、例えば先日感想を書いた『火車』のエンディングにあるような“余韻”は全くなく、ただただ言葉で説明していくスタイルは野暮ったくもあります。

さらに言えば、「見えないものが見える」榎木津 という男の“能力”の存在がなかなかご都合主義的。
そうかと思えば、ワトソン的ポジションの人物である関口は、逆に大事なものが“見えない”があって。
しかも、その“見えない“ことこそが事件の肝でもある「死体消失のトリック」っていうのはどうなんでしょう?
さらにさらに。
京極堂が「死体が目の前にあるのに関口には見えてなかった」ってことに気が付くことも、ほとんど“超能力“と言って差し支えなかったりして…。

という感じで、やはりどう考えても本作はミステリーとしての練度は低く、「腑に落ちる」という感覚に乏しいミステリー作品でして。
個人的な好みではあるんですけど、もう少し「パズルのピースがハマる感覚」を味わいたいな〜と思ってしまいました。

ただ、その「言葉での説明に終始」し、「洗練されておらず野暮ったい」展開が常識の一線を越えているのが本作の最大の魅力でもありまして。
先述した「後出しじゃんけんがどうのこうの」「言葉での説明に終始しているのがどうのこうの」といったことを“細かいこと”として吹き飛ばしてしまうほどの圧倒的な“物量”というんでしょうか、とにかく膨大な密度の文章でもって、読者を完全に飲み込んでしまうのが、この『姑獲鳥の夏』という作品でした。

その特徴は序盤から全開で。
例えば、冒頭で事件のキーとなる「20ヶ月妊娠している女性」のエピソードが語られるんですが、その話を聞いた京極堂の話は脱線に次ぐ脱線を経て、話が本筋に戻ってくるのは70ページも後。
もちろん、そこでの与太話が事件の真相に深くかかわっては来るんですが、とにかく長い!!

その後も、ことあるごとに京極堂が薀蓄を垂れつづけ、たびたび煙に巻かれながらも物語は進行し、最後には上述したような力技の結末を迎えるんですが、後半の文章による畳み掛けは本当に尋常じゃありません!
作中でもいろんな登場人物が最終的には京極堂の話術に根負けしてしまうんですが、それと同様のことが読者にも起こってしまい、とにかく「なんかわからんが凄かった…。」という印象が残りました。
そういう意味で、何かを“逸脱”した作品だけが持つ独特の魅力がある、ということは間違いなく断言できる作品です!
文体がどこか江戸川乱歩を思わせるのも、個人的にかなり「好み」でした!

また、ミステリーとして“力技”ではあるものの、その薀蓄や著者独自の哲学は読みごたえがあり、特に「京極堂」が語る「霊」の認識が面白い!

霊、というのは解り難いものを解り易くするために考えだされた記号のようなものだ。例えば数字と同じだ。この世にイチというモノは存在しない。だから数字はない、というのは暴論で、やはり間違いだが、それに対する反論が、目に見えないだけで本当はイチというモノはあるのです、というんじゃあこれはお笑いじゃないか。

また、「呪術」というものに対する見解は、

一足す一は必ず二です。しかし一方でそれは林檎を<林檎>という集合で括り、それぞれの個体差を無視して記号化してしまったときのみ有効です。いくら頑張っても自然界には<二つの林檎>というものは存在しない。ひとつの林檎と、もうひとつの林檎があるだけです。個々の林檎は別のものです。つまり、ここでいう<林檎の記号化>が実に<呪術>に他ならない。そして<足す>という概念が<式>であり、<足すこと>が即ち<式を打つ>という行為なのです

という感じ。
話のうまいやつに丸め込まれたような感覚にもなりますが、これは「なるほど!」と思わずにはいられません。
京極堂という男は、「リアリストな視点を持つ陰陽師」という一見矛盾した存在にも思えますが、その矛盾を上回るしっかりとした哲学を持っていて。
このキャラクターは、確かに非常に魅力的で、後に続くシリーズが人気なのも納得です。

そんなわけで、「あんまり好きじゃないっぽいんだけど面白かった」というなんとも微妙な感想を持つにいたった本作。
冒頭で書いた感想の繰り返しになりますが、「文章による物量作戦に押し切られて「面白い」と思わされた」というのが、素直な感想です。

まだ著作を1冊読んだだけの現状では、「好き嫌いが分かれる」と言われる作風が、この「圧倒的物量」のことを指しているのか、「後出しじゃんけん&全てを登場人物に口頭で言わせる」ことを指しているのかは不明で。
前者であればハマりそうで、後者であればきっとハマらないんだろうな〜という感じでしょうか。

「このミステリーがすごい!」「東西ミステリーベスト」の順位を見る限り、どうやら京極夏彦の最高傑作は次作の『魍魎の匣』なようで。
少なくともそこまで読んでみて、今後どっぷりハマっていくかどうかを判断しようかな〜と思うのでした。
(1994年刊行の作品に対して、2014年の今書く感想がこれでいいのか?っていう文章ですが。。。)

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