僕という一個人が生きていくことのために、どこかで死んでいる一家のこと。 映画『ゴモラ』ネタバレ感想

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『死ぬまでに観たい映画1001本』より、『ゴモラ』を観ました。

『死ぬまでに観たい映画1001本』を順番に観始めてからはよくあることですが、この映画についての前知識は全く持たずに(しいて言えば、書籍内で使われているマルコとチーロが海沿いで機関銃を乱射している写真を見て、「細っ!何こいつの体型!うける〜」くらいの印象は持ってましたけど。)鑑賞したんですが、いやー、完全に言葉を失ってしまいました。

ちなみに感想を書くのは遅くなってしまったものの、この映画が僕が2014年に観た一発目の映画
なんと言いますか、そういうタイミングではもっとハッピーな映画を観るべきだった、、、と後悔せずにはいられないヘビーすぎる映画でした。。

『ゴモラ』の作品概要

2008/イタリア 上映時間:135分
原題:Gomorra
監督:マッテオ・ガローネ
出演:トニ・セルビッロ、ジャンフェリーチェ・インパラート、マリア・ナツィオナーレ、サルバトーレ・カンタルーポ、ジージョ・モッラ

<あらすじ>
イタリア南部ナポリを本拠に、かつてのマフィアをはるかに凌ぐ権力と経済力を誇る犯罪組織「カモッラ」の暗部を描き出した社会派ドラマ。
組織同士の抗争が絶えない地域で育った少年トトはある日、度胸試しの儀式を経験して組織の一員となるが、友人のシモーネは対立するグループに入り、2人の友情は終わりを告げる。トトはあらゆる悪事に手を染めていくが、そんな中、組織から下されたある命令がトトの人生を大きく変えていく。

感想

71 100点満点 scored by ultimate-ezゴモラ

というわけで、なかなかキツい内容の映画なので全力でオススメはしにくい作品ではあるし、「おもしろい」か「おもしろくないか」で言っても「おもしろい」と全力で言い切れる映画じゃないんですが、確かな見応えがある映画。
オープニングから、映像と音楽のあまりのミスマッチっぷりに「なんだこの映画?」とひるんでしまいましたが、それ以降は徹底的に平坦な描写で現実をダイレクトにつきつけてくる“すごい映画”でした。

イタリアのギャング(マフィア)を描いた映画と言えば、やっぱり『ゴッド・ファーザー』は不朽の名作だし、僕が大好きな漫画『ジョジョの奇妙な冒険』の中でも、特に僕が好きな第5部はイタリアのギャングの話。
そういう意味で、「イタリアのギャング=超かっこいい」というイメージを持っています。

しかし、言うたらやっぱり「ギャング」って絶対的な悪。
特に組織の末端として生きる若者や、その周りで暮らさざるをえない低所得層の生活っていうのは、悲惨で、絶望的で。
この映画は、そんな悲惨で絶望的な“どんづまり”を生きる者たちを描いた5つのエピソードが並行して描かれている作品です。

限りなくドキュメンタリーに近いタッチの作品なので、5つのエピソードは劇的に収束することなく、ただ並列で存在しているだけ。
彼らが生きる“街”の存在だけが、5つのエピソードを内包していて。
そういう意味では映画全編を通しての主人公は、この“街”と言ってもいいんじゃないかと思います。

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ちなみに、映画のタイトル『ゴモラ』(原作のタイトルは『死都ゴモラ』)は、聖書に登場する街の名前。
退廃した住人たちの生活が神の怒りを買い、その怒りによって滅ぼされた街「ソドム」と「ゴモラ」のことです。
ただ、この「ソドムとゴモラ」って圧倒的に「ソドム」の方が有名。ソドムの住人たちの退廃っていうのがどうも“色欲”方向の退廃で、かつ“同性愛=退廃”みたいなニュアンスの話でもあったため、「同性愛は“悪”なのか!」というシビアな問題として活発に議論された影響もあるようです。
「ゴモラ」の方はソドムの添え物的にしか語られないことが多く、忘れられている感があったりします。

そういう点でも、本作のタイトルが『ソドム』ではなく『ゴモラ』であるのが妙に説得力が。
表舞台から忘れられながらも、脈々と、生々しく、退廃したまま“生きている街”として、ものすごい実在感で迫ってくるのが、本作の舞台であり主人公でもある“街(=ゴモラ)”なのです。

そんな街で起こる5つのエピソードは、どれもこれも強烈なバッドエンド。

組織に憧れる少年トトは、ヤンキーノリの度胸試しも乗り切って組織の一員になるんですが、組織の信頼を得るために仲良しのおばさん(敵対組織に寝返った奴のお母さん)を仲間に売り、見せしめのための射殺の手引きをしてしまったり。
組織内で「給料」の運び屋をしていたドン・チーロは、組織内外からの板挟みの中、その場しのぎで世渡りを続けていくあまり、身の回りの仲間たちは全員死に、たった一人街に残されてしまったり。
産業廃棄物処理会社で働く青年ロベルトは、高収入の仕事にやりがいを感じていたけれど、自分の仕事が「有害物質の不法投棄」と、その現場の「劣悪な労働環境」によって成り立っていた“現実”を知り、上司のフランコに決別の言葉をつきつけるも、「誰かがやらなければいけない仕事だろうが!」という圧倒的な正論で叩き潰されてしまったり。

ちなみに、このロベルトのエピソードで語られるセリフが非常に印象的。

北で一人を生かすために、南では一家を殺している

イタリアって、ミラノを中心とした富裕エリアの北部と、北部に利用されたナポリ以南の貧困エリアの“南北格差”が大きな社会問題になっているらしいんですけど、僕らが暮らす日本っていうのは、いうなれば丸々“北部”に属しているような国なわけで。
「MADE IN ○○」の製品があふれているけれど、その製品がどういう環境で作られているのかってまったく見えないし、ゴミ箱に捨てたものが最終的にどうなるのかも全く見えない浄化・漂白された社会を作り上げてしまってるわけじゃないですか。

僕らの人生を支えるためには、いったい世界中のどこかで何が起こっているのか?
自分が、世界のほんの上澄みの部分だけを見ながら一生を終えることが許された国に生まれ育っているってことを、激しく突きつけられる言葉でした。

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さて、話がちょっと脱線してしまいましたが、並列するエピソードは残り2つ。

仕立て職人パスクワーレは、組織の息がかかった高級オートクチュールの下請け工場で働いているんですが、ブラックすぎる経営状態に不満を持ち、こっそりと中国人の縫製業者と癒着し、技術の横流しでアルバイト。
しかし裏切りが組織にバレたせいで襲撃を受け、バスクワーレを除く中国人は全員死亡。
残されたバスクワーレはすべてに嫌気がさし、仕立屋をやめてトラック運転手に転職します。
テレビ画面に映し出された、バスクワーレの作ったドレスを着て華やかな舞台に立っているセレブ女優。
それを眺めるバスクワーレの冷めた目がこれまた印象的でした。
「足を洗えた」という意味では、この人だけはかろうじて絶望的バッドエンドではないのかもしれません。まあ、ハッピーエンドでもないけど。

そして、最後は、冒頭でもふれたアンガールズ以上の激細体型のインパクトがすごいマルコとチーロの二人組。
スカーフェイス』に憧れて無茶をする二人組で、組織のなわばりでやりたい放題。
「ガキ相手にマジになった方が恥ずかしいわ。。」と組織の上層部からはスルーされていたんですが、結局あっさりと、内々のうち組織に殺されてしまいます。
この上層部のおっさんたちのビジネスライクにガキども処理する様が、もう!!
ほんとに、ゾッとしてしまいます。
これが、「ギャング」か!!

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というわけで、どのエピソードを見てみても、「うわぁ。。。」となんとも言えない気持ちになってしまいまして。
そんなエピソードが入り乱れながら5本続くわけですから、そのゲンナリっぷりといったらたまったもんじゃありません。

Wikipediaを見ると、どうやら原作者のロベルト・サヴィアーノ氏は実在のギャング組織から殺害予告を受けて警察に保護されて、海外移住していたり。
本作に出演している俳優の一人が指名手配中のカモッラの構成員で、公開後に逮捕されたり。
そりゃあまあ、この生々しさも納得の“ほぼドキュメンタリー映画”でした。

上述した通り、少なくとも日本で暮らしていると、世界にここまでの“闇”があることはなかなか認識できないもの。
ただまあ、だからと言って、こうやって映画を通してでもその“闇”を知り、僕という一個人が生きていくことのためにどこかで死んでいる一家がいることを考えることが何の意味があるかと言えば、それもまた今の僕には「わからない」としか言えないわけで。

うーん。うーん。うーん。。。

一体何を思えばいいのかが本当にわからない。
しかし、何かしらの感情に思いっきり飲み込まれてしまったことだけは間違いない。
なんなんだこの映画!

これまで100本以上の映画の感想を自分なりにつづってきましたが、いまだにこうやって「なんと表現していいかわからない感情」を与えてくるのが“映画”というもの。

いや〜、映画ってやっぱりオモシロイっすわ!!

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