SF+青春映画は、こんなにもグッと来る! 映画『クロニクル』ネタバレ感想

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先日会った友人がおすすめしてくれた本作『クロニクル』
さすがに公開館は少ないわ、公開期間は短いわで映画館にはいけなかったんですが、早くもレンタル開始ということでさっそく借りてみました。

うん!確かにこれはおもしろい!

監督が大友克洋の『AKIRA』のファンを公言しているらしいんですが、『AKIRA』というよりはその前身にあたる『童夢』を髣髴させるビジュアルが超イケてる作品。
さらに、「超能力を身につけたイケてない子が「幸せ」から「不幸」への振り幅によって能力を暴発させてしまう」という物語を“青春映画”のタッチで描いている点は『キャリー(リメイク版よりもオリジナル版に近い印象)を思い起こさせたりもして。
そして何より、男であれば共感せざるを得ないキャラクター造形がなんとも魅力的な映画です!

いやー、なんでここまで公開が絞られているのかが全く謎な、良い映画ですよ、コレ!

作品概要

2012/アメリカ 上映時間:84分 PG12
原題:Chronicle
配給:20世紀フォックス映画
監督:ジョシュ・トランク
出演:デイン・デハーン、アレックス・ラッセル、マイケル・B・ジョーダン

<あらすじ>
平凡で退屈な日常生活を送る3人の高校生アンドリュー、マット、スティーブは、ある日、特殊な能力に目覚める。手を触れずに女子のスカートをめくったり、雲の上まで飛んでアメフトをしたり、3人は手に入れた力を使って刺激的な遊びに夢中になっていく。しかし、そんなある時、あおってきた後続車両にいら立ったアンドリューが力を使って事故にあわせたことから、3人は次第に自らの力に翻弄され、事態は予期せぬ方向へと発展していく。

感想

94 100点満点 scored by ultimate-ezクロニクル

というわけで、噂どおりの傑作だった本作『クロニクル』。
ビジュアルもイケてるし、物語の展開もグッとくる作品なんですが、なによりもまず、主人公アンドリューのキャラクターが良い!

根暗なカメラオタクであるアンドリューは、学校ではいじめられっ子。
家では病気で寝たきりの母親とクズ野郎な父親との3人暮らし。
なかなか絶望的陰湿な環境を生きている少年です。

それがひょんなことから「超能力」を身につけたことで、同じく能力に目覚めた仲間たちと“秘密を共有する友人”になりまして。
まして、その友人の一人は“クラスのイケてるグループ”の中心人物
そんなやつが自分と一緒にいる時間を「人生で最高の日だ!」なんて言っちゃうわけで。
ここで、アンドリューはすげー幸せそうな笑顔を見せるんですが、、、
ああ!
この狭〜いコミュニティの中でどういうポジションに位置するか(=誰と友達か)によって、幸不幸が左右されるっていうこの気持ち!スゲーわかるわ!!!
(この感覚は、『桐島、部活やめるってよ』を観た感想にも近いものがありました。)

そして、そういうコミュニティの立ち振る舞いに慣れていないのに急に中心人物になっちゃうことで調子に乗っちゃうことにも共感!!
そして、そこからの「俺もついに脱童貞!」→童貞喪失、失敗!!→暴走 の流れもすげー共感できてしまうわけです。

そうなんですよ!
十代後半の男にとって、童貞/非童貞の差っつうのは、いまの僕の年齢(31歳)に換算すると年収300万円/年収3000万円くらいの果てしない格差なんですよ!
年収3000万の奴が相手だと、茶化されるも、慰められるも等しく不快なんだよ!!

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そして、そこからの「アンドリューを励まそうとしているスティーブの優越感にブチ切れ」→ギガデイン!→「そんな自分に自己嫌悪」の流れもすげーわかる!
そこからさらに内省的になっていき、“頂点捕食者”なんていう中二病フレーズを口にしちゃって、蜘蛛を相手に力を使ってみたり。(このシーン自体はすげーかっこいいけど。)
どんどんと童貞力を純化させながら、行動が暴走が増していく展開もすげーよくわかるわけです。

さらに、力を解放させることを覚えたアンドリューがやることといえば、「いじめっ子を痛い目に合わせる」という、いかにもいじめられっこ発想なのもまた彼らしい。
そして、お金が必要な状況では通りでたむろってるヤンキーを襲ったり、近所のコンビニを襲ったり。
とにかく、行動範囲が狭い!そして行動が浅はか!!

これが、いかにも少年的と言いますか。

上述したように、高校生の頃の行動範囲や交友関係って今考えればものすごく狭くて限定的なもの。
それでも、感覚的にはその狭い世界が“すべて”だったわけで。
まさに、その「10代後半の少年らしさ」が、アンドリューのあらゆる行動からあふれているわけですよ。

もちろん、アンドリューの場合は「超能力」があるので、等身大の自分を反映できるという意味での“共感”(それこそ、『桐嶋、』で味わうような共感)ができるわけではないんですが、むしろその能力ゆえに「楽しさ」も「悲しさ」も「後悔」も「暴走」もより誇張され鮮烈になっていて。
その分共感しやすいといいますか、わかりやすくコチラに刺さってきます。

元来、SF映画っていうのは現実に対してなんかしらの寓意が込められているもので、現実世界を“誇張”する力のあるジャンルだとは思うんですが、“青春映画における感情の誇張”として「超能力」を機能させているのが見事!
そして、“脱・童貞”にまつわるエピソードを、物語が動き出すトリガーとして機能させている点も、青春映画として強烈なリアリティーにつながっていて。
いやー、これは「SF青春映画」のプロットとして“完璧”と言っても差支えがないんじゃないでしょうか。

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それから、本作においては「カメラ」の存在もかなり重要。
なんせ、もともとはアンドリューの手持ちカメラの映像で構成されていたこの映画。
能力を身につけてからはアンドリューは超能力で浮かべたカメラからの視点に変化していくんですよ。

これが、一般的な第3者の視点とも違うし、アンドリューの視点とも違う。
しいて言えば「アンドリューの“感情”の視点」っていうんでしょうか、非常に独特な“視点”になっているのが印象的です。

アンドリューが内省的になればなるほど“自撮り”的な構図が増え、さらに能力を暴走させていくアンドリューと呼応するように、カメラにも自我があるかのように“暴走”を始め。
さらに、能力がアンドリューの自我を上回り始めるころには、監視カメラや報道カメラなど、視点がアンドリューから離れながら規模が広がっていくのも巧い!
そして、最後に「アンドリューの見たがっていた景色」の中にカメラを置くことで、カメラ=アンドリューの視点へと帰着し、それがアンドリューへの「赦し」「救い」になっているように見える構成も見事です。

ただ、それが“完璧”ではないといいますか、気になる点というのもありまして。。

手持ちカメラを多用した映画といえば、『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』の大ヒット以降多用され、今となってはさほど珍しいものではないんですが、うまく扱えている作品って意外に少なくて。
「なぜそこにカメラがあったのか」という必然性が弱い作品も少なくありません。

例えば『パラノーマル・アクティビティ』なんか大ヒットしましたが、カメラに拒絶反応を示していたはずの主人公の彼女が、後半になってくるとカメラをしっかり持ち運ぶんですよ。
そういうのって想像以上に違和感を生むもので、一度そこに気が付いてしまうと、もはや作品に集中できないほどの違和感になってしまいます。。

そういう意味だと、本作はマットの彼女であるケイシーの視点がちょっと不自然と言いますか。
マットを非童貞側に立たせてアンドリューを孤立させるという意味で必要なキャスティングではあるんですが、そこに“視点”を与える必然がやや弱いかな、というのが気になるところ。
(少なくとも、序盤のクラブでのシーンでアンドリューを客観的に撮った映像を入れる必要性は感じられませんでした。)

また、この映画は決して「ドキュメンタリー風」ってわけではないんですが、序盤で使っていたカメラが行方不明のままなのもモヤっとするところ。
映画のタイトルが『テレキネシス』などではなく『クロニクル』っていうところから、この映画の重要なファクターが“記録”なのは明らか。
であれば、その“記録”がどうやって世に出たのかっていうところに説明がほしいとい言いますか。
やはり多少なりの“ドキュメンタリー風”の見せ方はあっってよかったんじゃないかな〜と思ってしまいました。
(まあ、『アポロ18』みたいに雑にやるくらいなら無くてよかったんでしょうけど。。。)

地下にあったあの物体についての説明も無いし。。。
そういうところを語りたかったわけじゃないんでしょうけどね。

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というわけで、「SF青春映画」として非常に見どころの多い作品だった本作。

非現実的な能力をもち、大事件を引き起こしてしまうアンドリューという男の取る行動。
それはもちろん非常にフィクショナルなものなんですが、それをグッと近くに共感させる人物描写が本当に素晴らしかった。

冒頭でも書いたように、僕はこの映画を見ながら『キャリー』を思い出してしまったんですが、本作のアンドリューはキャリーに比べると少しだけ恵まれていて。

「今日が人生最高の日だ」と言ってくれる友達がいるというのが一点。
(まあ、これはキャリーでも、ダンスパーティーでトミーが割とマジになっちゃってる感じと近いのかもしれませんし、アンドリューの場合、そういう友達がいて、それを自分のせいで失ったことでより深い絶望へとつながっていったとも取れますが。)
そして、何より、アンドリューには暴走を止めてくれる人がいたっていうのが大きな違い。
キャリーは最後の最後まで自分で幕を閉じなければならなかったわけで、その哀しさたるや。。。
アンドリューの親父は確かにクズ野郎で、病室のベッドに横たわるアンドリューへのあの発言はほんとにひどかったけど、キャリーの母親と比べればまだまだ真人間ですしね。。

そんなわけで、『キャリー』を思い返してみればアンドリューの人生はまだマシだったとも思えるんですが、仮に自分があの立場だった場合、僕を殺してくれる人っていうのはいるのだろうか?

「殺してでも自分を止めてくれる人」。
自分にとって、そんな人がどれだけいるだろう?
自分がそうなれる相手が、どれだけいるだろう?

そういう相手を見つけることって、人生を賭けてもできるかどうか怪しいところで。
ひどいことだらけの人生だったアンドリューですが、「そういう相手がいた」というだけで、その人生は悪くなかったとも思えるわけで。
そういう意味では、非常にうらやましくもある人生だったんじゃあいかな〜と思うのでした。

そして、これから先僕の人生は続いていくわけですが、そういう相手を大切に生きていきたいな〜と、そんな壮大なことまで考えてしまうスゴい映画なのでした。

いやー、良い映画だった。

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