“ねじれ”を紐解くために、今の僕に足りないもの。 小説『ねじれた文字、ねじれた路』ネタバレ感想

ねじれた文字、ねじれた路

最近は通勤電車のお供がめっきり「パズドラ」になってしまっていて、全然小説を読んでなかったんですが、“読書の秋”ってことなのかふつふつと読書欲が湧き上がってきまして。
「このミステリーがすごい!」+Kindleの組み合わせで読める本に手を再度チェック。2012年の第8位に選ばれた本作『ねじれた文字、ねじれた路』をリハビリの第一作として読んでみました。

海外文学って、人名がなかなか覚えられないことも多く、誰が誰かを見失いがちだったりもするんですが、本作は焦点が主要人物二人に絞り込まれているせいか、非常に把握しやすくて。
海外文学を読むのはかなり久しぶりながらも、すんなりと読み進めることができました。

そんなわけで、海外文学を久しく読んでいない方、もしくはこれまでほとんど読んでこなかった方にも超おすすめできる一冊です、これ!

作品概要

2011/日本
原題:Crooked Letter, Crooked Letter
著者:トム・フランクリン
発行元:早川書房

あらすじ

ホラー小説を愛する内気なラリーと、野球好きで大人びたサイラス。1970年代末の米南部でふたりの少年が育んだ友情は、あるきっかけで無残に崩れ去る。それから25年後。自動車整備士となったラリーは、少女失踪事件に関与したのではないかと周囲に疑われながら、孤独に暮らす。そして、大学野球で活躍したサイラスは治安官となった。だが、町で起きた新たな失踪事件が、すべてを変えた。過去から目を背けて生きてきたふたりの運命は、いやおうなく絡まりあう――。

『ねじれた文字、ねじれた路』の感想

83 100点満点 scored by ultimate-ezねじれた文字、ねじれた路

というわけで、秋の夜長を久々の“がっつり読書”でお過ごし中の今日この頃なんですが、一冊目からなかなかのヒット!
まあ、「このミス!」選出の本を読んでいるということで、変な作品に当たらないのは当然なのかもしれませんが、「ミステリー」という枠組みの中で、二人の男との友情の物語というドラマに仕上げた本作はなかなか胸に響く作品でした。

物語の主人公は二人の男ラリーとサイラス。
舞台はミシシッピの片隅のシャボットという小さくて寂れた田舎町。
とある一人の少女が行方不明になったことから事件が始まります。

捜査線上に上がってきた容疑者が、上述した主人公の一人であるラリー・オット。
ひっそりと自動車整備工場を経営しているラリーなんですが、彼が疑われた理由は彼の前科にあります。
25年前、当時16歳だったラリーは高校の同級生だったシンディという少女とデートに出かけたものの、それ以降シンディは行方不明。
死体は見つかっていないものの、町の人はみなラリーこそがシンディに“何か”をしたと疑っており、以降“スケアリー・ラリー”と呼ばれ、村八分の状態で暮らしているわけです。
(しかも、序章の段階でラリーは何者かに襲撃を受け、瀕死の状態から物語は始まります。)

そして、その事件を捜査する警察がもう一人の主人公サイラス。
高校時代、野球部のスター選手として活躍したサイラス。大学で肩を壊して野球をやめ、その後は海軍に入隊。
それなりに華やかな青春時代をすごしていたサイラスですが、故郷のシャボットに戻った現在は、つまらない仕事に不満を募らせながら暮らしています。

事件の容疑者と、それを追う警察として出会う二人。しかし、実はこれは二人にとっては“再会”で、二人の過去には複雑で深い関係性があるわけです。
物語の視点が二人の主人公の間を交互に入れ替わり、さらに過去と現在を行き来しながらその“関係”を丁寧に紐解いていくというのが、この物語の一番の“肝”になります。

ただ、この“肝”を味わう上で、日本人にとって大きなネックが一つありまして…。

というのも、この二人の関係を紐解く上で、欠かせない重要な要素の一つが、“人種問題”なんですよ。
ラリーは白人でサイラスは黒人。
幼少時代は友人として接していた二人ですが、成長するにつれ人種の違いは大きな問題になっていきます。
当然、「黒人はむかしは奴隷として扱われて差別を受けていた。そして、その差別は今も遺恨を残している」という人種問題のテンプレ的な部分は知っているつもり。(もちろん、“知識として知っている”というレベルで、両方の立場の“想い”までも理解しているわけではないですが。)

ただ、本作における人種問題ってそういうシンプルなものではないんですよ。

例えば、サイラスをはじめとする黒人たちを雇っている町の白人たち。
ラリーの父親もそういう立場の人間なんですが、彼らも決して豊かな生活を送る富裕層の人間ではないんです。
そして、幼いラリーが通う学校においては、白人がほんの数割しかいない環境だったりして。
さらにそれが高校にもなると、ミステリー小説オタクのラリーと、ベースボールの花形プレイヤーであるサイラスのスクールカーストは完全に逆転。
白人の美少女を彼女にしているサイラスと、ネクラオタク野郎のラリーのそれぞれの心の持ちようっていうのは、「白人が黒人を虐げた」というテンプレどおりの構図としては語れないわけです。

そして、この複雑な関係性が、サイラスとラリーが幼い頃に仲良くなっていった経緯。そんな二人が仲違いし、道を違えてしまった経緯に大きく関係していまして。さらに、シンディ失踪事件の大きな引き金となっていくわけです。
そしてもっと言えば、シンディ失踪事件の後にサイラスが取る行動にも大きく関係していて。
そして、そこでサイラスが取った行動が“スケアリー・ラリー”という悲劇の男を生み出し、さらにその“スケアリー・ラリー”を信奉する者がいなければ今起きている少女失踪事件も起こらなかったわけで。
この“人種問題”を感覚的に理解できていないと、こういう物語の流れを感覚的に理解することがなかなか難しいわけですよ!
(もちろん、そういう繊細で感覚的な人種問題を描けているからこそ、アメリカでは大ヒットしたんでしょうけどね。

もちろん、ストーリーのあらすじとして追うことはできるし、その丁寧な筆致の魅力は充分に堪能できるもので。
仲が良かった頃のラリーとサイラスのキラキラした感じはグッと来るし、それが失われていく喪失感。そして、事件をきっかけに二人が真の意味で“再会”していく展開は胸を打つものの、どうしても、この“人種の違いが生み出すねじれ”を味わうことができていないということを感じてしまいました。

ちょっと前に見た映画『ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日』の感想でも、“宗教・信仰が理解できていないと…”という旨の感想を書いたんですが、やはり海外の作品って文化としての共通項を持っていないことも多く、それゆえに「物語としての一番肝心な肝を理解するための前提がない」という感覚を持ってしまうこともありまして。
なんでしょう「物語の“芯”を捉えていない」感覚っていうんでしょうか。
面白かったし作品を堪能したはずなんだけど、なんか満足できない後味を残してしまう、このモヤっとした感じ!!

というわけで、作品としては面白かったし、さすがに「このミス!」に選ばれるだけあって完成度は高い作品だった本作。
ただ、やはり物語を楽しむには読者としての下地。つまりは前提知識だったり文化的背景だったりを持っておく必要を感じてしまった作品でした。
もちろん、そういうモヤモヤは気にせず、作品単体それだけを楽しむのもアリなんでしょうけど、どうやら僕にそれはできないみたいでして。

というわけで、海外文学にはまるなら、その文化を理解するためにノンフィクションなんかも読んで勉強しないとな!ってことで、帰りの電車でぶらり途中下車して、武蔵小杉駅の駅ビルにあるオシャレッティ図書館「」に通う日々をスタートさせてしまったのでした。

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オシャレッティ!!
蔵書はRFID使って管理しているっぽくてハイテク!!
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さぁ!本読むぞー!!
(本の感想のはずがなんか近況報告っぽくなってしまったけど、そこは気にしないでね☆)

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