子供を産み落とすことのできない性にとって、子供と過ごした日々は“すべて”だ。 映画『そして父になる』ネタバレ感想

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カンヌ国際映画祭審査員賞を受賞したことで話題になった映画『そして父になる」。
正式公開は今日(9/28)なんですが、近所の映画館で先行上映をやっていたので、昨夜観てきました。
(ちなみに、先行上映は8/24と8/27の2日間だったんですが、本作と同じ是枝裕和監督作品『誰も知らない』に超絶ダメージをくらった思い出のある僕としては、「あれ級の映画を週の頭に観てしまったら一週間の仕事に支障をきたしちゃう!」ということで、金曜日を選びました。どうでもいい話ですが。)

やはり、カンヌ国際映画祭の審査員賞受賞作ってことで期待値は上がっていたしちょっと前に観た『フィッシュタンク』という映画が2009年に同じ賞を受賞した映画だったんですが、これがもう!超すばらしい映画だったもんで。)、何より、息子の一歳の誕生日を来週に控えている僕としましては、「父になった」ということを振り返るには絶好のタイミング!

そんなわけで、映画に対する期待値が鬼のように高まっていたっていうのが問題なのは重々承知なんですが、、、正直”ちょっと期待はずれ”…。
役者さんの演技やまったく無駄のない脚本など映画としてのクオリティーがものすごく高いのは間違いないんですが、肝心の「テーマ」「メッセージ」の部分が思いの外僕には響かなかった感じでした。

作品概要

2013/日本 上映時間:120分 G
配給:ギャガ
監督:是枝裕和
出演:福山雅治、尾野真千子、真木よう子、リリー・フランキー

<あらすじ>
大手建設会社に勤務し、都心の高級マンションで妻と息子と暮らす野々宮良多は、人生の勝ち組で誰もがうらやむエリート街道を歩んできた。そんなある日、病院からの電話で、6歳になる息子が出生時に取り違えられた他人の子どもだと判明する。妻のみどりや取り違えの起こった相手方の斎木夫妻は、それぞれ育てた子どもを手放すことに苦しむが、どうせなら早い方がいいという良多の意見で、互いの子どもを“交換”することになるが……。

感想

72 100点満点 scored by ultimate-ezそして父になる

というわけで、正直ちょっとだけ「イマイチ感」を覚えてしまった本作『そして父になる』

映画のあらすじとしてはネタバレもなにもないくらいに非常にシンプルな話。
福山雅治演じる超エリートイケメンの子どもが、病院で取り違えられた他人の子どもで。
6年間育ててきた息子が他人の子どもだってことを知った夫婦が、息子を交換するか否かで葛藤するというお話。
そして、最初は“血のつながり”を取ろうとした父親(イケメン)が、最後に“血よりも大事なもの”に気がつくというのが大筋です。

予告編を観ただけで割とウルウル来てしまうテーマだし、共感するところは多分にある話ではあるですが、なんて言うんでしょう、「”血のつながり”がそんなに大事なことじゃない」なんてことは、たった1年父親をやっただけでも十分にわかっちゃってるんですよね。

というのも、僕は男っていうのは“生物学的”に「親」にはなれない性だと思ってまして。

もちろん、「血液型の組み合わせ」とか「DNA検査」とかを使えば「ほぼ間違いなくあなたの息子です」というのは証明できることなんですけど、極端な話「血液型DNAも実は全部ウソでした〜」なんてこともあるかもしれない(いや、もちろんそんなことはないんだろうけど)し、ウソじゃないという説を信じるしかないと言いますか。
“実際に自分の体の中から出てきた”という母と子の揺るぎない繋がりに比べると、限りなく頼りない繋がりしか持つことができないわけで。
じゃあ、男はどうやって「親」になるのかと言えば、そりゃあもう子どもが生まれてから一緒に過ごした日々の中で関係性をつくっていくこと。
つまりは、“社会的”に「親」という役割になっていくしかないと思っているんですよ。

もちろん僕は「息子が実はオレの子どもじゃないんじゃないか?」なんて思ってもないし、顔もそこそこ似てるし。
だからこそ言えることなのかもしれませんが、「実際の血のつながりなんか、子どもと過ごした日々の前では塵にも等しい!」とすでに思っちゃってるもんで、本作の2組の夫婦がいつまでも結論を出せないのがまったくの謎で。
こちとら数カ月前にすでに「無いと思うけどもし奥さんが浮気してて、子どもが実の息子じゃなかったとしても、もう絶対に離れられないな」という覚悟完了が終わってるもんで、こんなことを数ヶ月間もゴニョゴニョやりつづけている2組の夫婦のどちらにも全然感情移入できない感じでした。

「腹を痛めて生んだ」という物理的な繋がりがある母親なら仕方ないことかもしれないけれど、そもそも関係性の中で「親」という役割を担うことしか出来ない「男」が、あれほど“血のつながり”に縛られるなんてまったく理解できないなぁ。。。
作中では病院側の人たちが「こういうケースではみなさん100%交換という結論に至ります」なんて言っていたけど、ちょっと信じられない話。
あれは事実に基づいた話なんですかね?

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さらにちょっと気になったのが、リリー・フランキーと真木よう子が演じる斎木夫妻の存在。

いけ好かないスーパーエリートの福山に対し、街の電気屋で決して豊かとはいえない暮らしをしている斎木家。
でも、明るくて楽しそうで、「子どもと一緒に過ごす時間」を大切にする家族として、福山の対極として描かれています。

斎木家に対し露骨に不快感を見せる福山ですが、「子どもと過ごした日々」に血の繋がり以上の大切さを見出した福山が、最終的には斎木家に歩み寄ることに。
でも、じゃあ斎木家が理想の家庭なのかと言えば、僕は決してそうは思えないんですよ。

例えば、斎木家の子供たちってホントに躾がなってません。
それを端的に表現しているのが、「箸の持ち方」に関する一連の件。
斎木家の息子琉晴くん(本当は福山の息子)は箸の持ち方がグチャグチャで、福山がそれを矯正しようとするんだけど、それを見ている妻のみどり(尾野真千子)は、「やれやれ、早速この感じか。。。」みたいな顔をするんですよ。
映画のタッチとしても、福山の行為を「やな感じ」と取らせるような見せ方をしていて。

でもね、「箸の持ち方」に関してはちゃんと矯正したほうがいいし、それを怠った斎木家は本当に子どもの将来を考えてんのか!と思っちゃうわけです。
大人になった今だからわかるんですが、いい年して「箸の持ち方」が変なやつってのはやっぱり「あらあら…」という見方をされるし、「最低限のスタートラインに立っていない奴」とすら思わることがあるわけで。
少なくとも得することなんか一つもないことだし、子供の頃にちゃんとした持ち方を教えてもらっていてよかったなって今は親に感謝していたりするんですよ。

他にも、急に「示談金いくらもらえるんかね。」と金の話をはじめちゃう下品さとか、「子どもの育て方はこちらが絶対的に正しい」という根拠のないスタンスで説教じみた話をはじめちゃうところとか、「2人とも譲ってください」という福山の発言は確かにクソだけど、ソレに対して手が出ちゃうとことか。

斎木夫妻のそういうところはまったく問題ないのか?と思っちゃうわけです。

子どもたちをギャーギャー騒がせるまま騒がせるし、ゲームやらなんやら遊びたいだけ遊ばせているあの感じ。
別に「甘やかす」ことだけが正しい子育てじゃないと思うし、慶多くんは「お父さんみたいになりたい」って言ってたんだから福山は福山で十分に立派な「父」ってことじゃないんですかね!

もちろん福山に足りたい部分があったのは事実なんですが、じゃあ斎木家が完璧なのかと言えば絶対にそうではない。
(実際どっちかの家の息子になって人生やりなおすとしたら、僕は福山の家の方がいいかな〜とすら思っちゃうんですが、これっておかしいのか。。。)
にも関わらず、最終的に変化するのは福山だけで、斎木夫妻は何も変わらないままなんですよ。
ただ、「福山くんもやっと気がついたか」みたいな顔で眺めているだけ。

彼らは彼らなりに、多少なりとも成長する部分・変化する部分があればもう少しグッと来る作品になったのかな〜と思ってしまいました。

リリー・フランキーが語る「明日できることは今日やらない」という哲学なんかは、すごく共感するんですけど、そうは言ってもああいう感じの親にはなりたくない。
うちの息子はまだ0歳なので今のところ怒ったことは無いんですけど、もう少し成長したら「叱るべき所ではちゃんと叱る」ことのできる父親になりたいもんです。

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と、ここまで割と不満っぽいことばかりを書いてしまいましたが、冒頭でも書いたように映画としてのクオリティーは流石に高い作品。
是枝裕和監督の作品って「無駄がない」と評されることが多いように感じますが、本作も見事なまでに無駄がない!

特にそれが顕著なのが夏八木勲と風吹ジュンが演じる福山の両親の出演シーン。
説明的な会話は全くないんだけど、「折り合いのつかない頑固な父」「その再婚相手」という関係性を一発で把握できるのはスゴい。
そして、「大事なのは血だ」という父の忠告と、「血なんか繋がっていなくたって情は湧く。私はそのつもりであなたたちを育てた」という義母の言葉。
この相反する2つの言葉は物語の中で何度も反芻され、映画そのものの骨格になっていて。
2人の登場シーン自体はほんの10分くらいの短時間で、日常的な必要最低限の発言しかしていないにもかかわらず、こうして映画の根底に居続ける存在感があるのもスゴい!

また、「隣の家から聞こえてくるヘタクソなピアノを嫌がる父」の言動が、慶多くんのヘタクソなピアノに苛立つ福山そのもので。
その後の「これからどんどんそれぞれの親に似てくるぞ」という言葉以上に、「どんなに嫌いなはずでも似てきてしまう」という“血のつながり”の強固さを表現していたりするのも巧い!

さらにもう1つスゴいシーンが、エンドロールと重なりながらのラストシーン。
斎木家に入ってゆく福山と慶多くんのセリフです。
カメラも随分と引いていて、もう姿は見えないんだけど、そこで交わされる会話っていうのが、

慶太:「ねえ、スパイダーマンが蜘蛛だって知ってた?」
福山:「いや、初めて知ったよ」

コレがスゴい!

「親だって子どもから学ぶこともある。」
福山がこれまで思いもしなかったそのことに初めて気がつく重要なシーンなんですが、わずか一言づつ一往復の会話のみでそれを感じさせるこのセリフ。
まさに、無駄がない!!

他にも、看護婦の息子がたった1シーン数秒の出演時間でものすごく重要な発言をしていたり、ピエール瀧なんて発言すらなく1カット顔だけの登場なのに、それが絶対に必要な1カットだったり。
強いて言えば、「看護婦の告白」がやや唐突すぎたくらいで、それ以外はまったく過不足がなくカンペキでした。

何だかいろいろ不満を書いてはみたものの、この表現力はさすがの是枝監督。
この繊細で丁寧で無駄がないタッチには満足せざるを得ないのでした。

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というわけで、テーマ的に不満は持ちつつも、こういう品質の映画を観れたことの満足感はあった本作『そして父になる』。

福山が演じる父親像っていうのは、かなり”やな感じ”。
決して「こうなりたい」なんて思えるものではないし、序盤での「やっぱりそういうことか」発言にも尾野真千子がキレるよりはるか前に「テメーさっきの発言はあれはどういう意味だコラ」とキレ気味で観ていたし、折り紙で作った慶多お手製のバラの花を無くしちゃうのは流石に真性クソ野郎だとは思うんですが、「父親の厳しさ」が必要とされる場面が、これからの人生のどこかできっとくるんじゃないだろうか。
と、そんなことをグルグルとひたすら考えさせられる映画でした。

そういう意味で、「テーマ的に不満」とは言いつつも、この映画を起点に「これまでのこと」「これからのこと」を考えざるをえない作品だったことは間違いなく。
息子の1歳の誕生日という“節目”の直前にこの映画を観たことはかなり意味のあることだったんじゃないかと思います。

まあ、あとひとつ不満を言うとすれば、どう考えてもやっぱり「福山がカッコよすぎる」というところ。
号泣することも覚悟でこの映画を観たんだけど最終的にそこまで感情が爆発することが無かった要因の一つとして、「福山ハンサム過ぎ問題」があるのは間違いありません。
要所々々で、感情のスイッチが入る前に「うわ、ハンサムやな〜」というワンクッションが挟まれてしまうことで感情がスムーズに流れません!!!
この1点が、この映画にはちょっとマイナスな気がしないでもないのでした。

というわけで、今日もまた長々と感想を綴ってしまいましたが(尾野真千子の「慶多は兄弟が欲しいって言ってから、、、」とか、「琉晴をカワイイと思ってしまった」と泣くところとか、語り足りない所はまだあるけど。。。)、こういう映画を観た直後であるにもかかわらず、今日の僕は部屋にひとり!
実は来週の息子の誕生日をそれぞれの実家で祝うのに先駆け、奥さんが息子を連れて一足早く里帰り中でして。
いやー、あれほど「息子を愛おしく抱きしめる」シーンが続く映画を観た直後に、息子を抱きしめられないなんて!!

さて、この息子を抱きしめたい欲求にモヤモヤした感情は、一体どうするべきだろうか。。。
女性を抱きしめたい欲求のもやもやならば解消する方法は渋谷の道玄坂あたりにいろいろありそうですが、こればかりはなぁ〜。。。モヤモヤモヤ…

Commentsこの記事についたコメント

1件のコメント
  • yuuhisahumi より:

    「そして父になる」について考えるところがあって、あれこれネットで他人の意見を探して目を通しておりましたら、このブログに辿り着きました。いくつも見た中で最も的確で納得できる考察に感心してしまいました(他のエントリーの充実ぶりもすごい)。私の感想とは一点、違った結論に至ってはいます。とはいえそれはブログ主様の見解に反対するものではないのですが。よろしかったら。http://yuuhisahumi.blogspot.jp/2015/02/blog-post_19.html

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