ドラゴンボールの実写版はアンタにやって欲しかった! 映画『マン・オブ・スティール』ネタバレ感想

Poster

先月の『パシフィックリム』に続き“IMAXで観たい系映画”の大本命『マン・オブ・スティール』。
公開からやや時間が経ってしまいましたが、今回も無事にIMAXで観ることが出来ました。

この作品は「予告編」の出来がとにかく素晴らしくて、目玉である「スーパーマン」の存在をなかなか見せずに溜めに溜めておいてからの飛行シーンがとにかくかっこいいんですよ。
まさに“緩急”による映像の魔術師ザック・スナイダーの作家性がギュギュギュッとつまった予告編!
初めてIMAXで予告編を観た時(たしか『アイアンマン3』の時。)の興奮はただ事ではなくて、予告編だけでもかなり満足のできる一品でした。

そんなわけで期待値のハードルはかなり高まっていたんですが、、、、、、その期待が裏切られることはなかった!!
ストーリーに関してはいろいろ思うところも多く、「ドラマとしての出来」は決して良くない作品なんですが、あの映像が観れたら文句なんか無いわけで。
『パシフィックリム』に続き、今回も大興奮の映画体験になりました!
(気がつけばちょっと前から、このブログで“映画体験”という言葉を頻繁に使っているような気がしますが、これって完全にIMAXのオープニングのナレーションの影響受けてんな〜。。。)

作品概要

2013/アメリカ 上映時間:143分 G
原題:Man of Steel
配給:ワーナー・ブラザース映画
監督:ザック・スナイダー
出演:ヘンリー・カビル、エイミー・アダムス、ラッセル・クロウ、ケビン・コスナー

<あらすじ>
無敵の能力を備えながらも、それゆえに苦悩して育った青年クラーク・ケントが、いかにしてスーパーマンとして立ち上がったのか、これまで描かれてこなかったスーパーマン誕生の物語を描く。

感想

77 100点満点 scored by ultimate-ezマン・オブ・スティール

というわけで、超満足の映画だったわけですが、前評判で聞いていた「スーパーマンの放浪シーンが素晴らしい」とか「父と子の物語に泣けた」とかいう“ドラマ部分”を褒めている意見に関しては、まったく共感できていません。

これは一つ、僕の『スーパーマン』に対するリテラシーが超低いいことが原因なんでしょう。
オリジナルの『スーパーマン』を観てないし、『スーパーマン リターンズ』も観ていない。アメコミ版もしっかり読んだことはない感じなんだけど、そのくせ何故か『スーパーガール』は観ていたりして。
そんなわけで、今回の『スーパーマン』に“今までにはない人間性”なんてものを感じることもなければ、“出生の秘密”にドキドキすることも出来ませんでした。

ただ、それでも充分に楽しめたのは、何よりもやはりあの“映像”“アクション”ですよ!

本作の監督ザック・スナイダーと言えば、やっぱり『300(スリーハンドレッド)』のインパクトが強烈だったお方。
『300』は、“それ以降の映画のアクションシーンを変えた”と言っても大袈裟ではない作品でした。
「早送り」と「スローモーション」を組み合わせることで生み出すアクションシーン(主に戦闘シーン)は、それまでに観たことがない大迫力の映像で。
一発の打撃に加わった“重み”であったり、その結果起こるダメージの描写に、凄まじい説得力を与える表現でした。

ちなみにこの表現って、そもそもは“漫画のコマ割り”を映像として表現しようとしたものらしく。
「静止画である1コマ」と「描かれないコマとコマの間」を、「スローモーション」と「早送り」で再構築した映像表現、とのこと。
つまり、本作のように「漫画」を映像化した作品との相性が保証されたも同然の表現なわけです。

ただ、ザック・スナイダーという男が本当にすごいのは、この“保証された表現”をそのまま使わないところ。
実は本作『マン・オブ・スティール』では、緩急の要である「スローモーション」と「早送り」を使っていないんですよ!
では、どうやって迫力を生み出すための“緩急”をつけているかと言えば、それはものすごくシンプルに、スーパーマンが超高速で動く!!

“人間並み”のスピードで地上を歩くスーパーマンが、急に“スーパーパワー”でジャンプ!
これだけで『300』の時の“スローモーションから早送り”と同様の“緩急”が生まれるわけです。
さらに言えば、周りの人間や車などが通常のスピードで動いていることで、“スーパーパワー”の異常性・突出度が明らかに際立つことに。
これにより、『300』のスパルタ軍が“映像表現によって凄く見えた”のに対し、スーパーマンは“ナチュラルに凄い”と感じられるわけで。
「スーパーマンすげー!かっけー!!」を自然に感じさせるための仕掛けとして、ちゃんと新たに表現が練られているわけです。
いやー、凄い!!

そんな“スーパーマンが超かっこいいシーン”の中で、僕が個人的に大好きなのは、ゾッド将軍との空中戦。
フルスイングで殴り飛ばした相手に空中で追いついてからの追撃!!
いやーもう、こんなことできるの「フリーザ様」と登場したばかりの時の「桃白白」くらいだよ!!
原作者が「「たぶんダメだろうな」と予想していたら本当にダメだった某国の実写映」とコメントしてしまうような実写映画を作るくらいだったら、『ドラゴンボール』の実写はアンタにやってもらいたかったよザック・スナイダー!!!

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というわけで、『ドラゴンボール』の世界を凄まじい精度で再現したかのようなバトルシーンの出来栄えだけで大満足の作品だった本作。

ただまあ、冒頭でも書いたように“ドラマ”部分については、正直全然グッと来なくて。
なんでしょう、全体的に非常にあっさりとしていて、良い意味でも悪い意味でも印象が無く。
「特に何も思わない」としか言いようのない作品でした。
あの予告編を観ていたら、本作が「父と子」の関係を描いた映画なのは明らかで。
もうすぐ息子が1歳の誕生日を迎える僕としては、やっぱり「父と子のドラマ」で泣きたいところだったんですけどね…。

と、ここからは「ネタバレ」の内容になっちゃいますが、本作のドラマとしての最大の問題は、「ラッセル・クロウ、出過ぎ!」ってところ。

映画の冒頭で描かれるのは、滅び行くクリプトン星から生まれたばかりの息子を宇宙へ逃がそうとするジョー=エル(ラッセル・クロウ)と妻ララの姿。
ジョー=エルは、「成長する姿を見れない。」「ママと呼んでもらえることもない。」と戸惑うララをなだめながら、まさに“命を賭けて”息子を逃がすわけです。
やがて地球へと辿り着いた息子カル=エルは、地球人の両親の元で地球人クラーク・ケントとして育つんですが、自分が持つ驚異的な力に苦しむことに。
しかし、「自分の世界を狭めなさい」と諭す母と、「自分の世界を広げなさい」と説く父の元で、少しづつクラークは成長していくことになります。
この両親の教えはそれぞれが正しく、母の教えにより「能力をコントロールすること」を身につけ、父の教えにより「自らの能力の使い方」を理解していくことになります。
さらに父は「お前の本当の父親を探すんだ」とクラークに話し、彼の「運命」を指し示す存在でもあるわけです。

正直、ここまでのドラマには結構グッと来ていて。
やがて、本当の父であるジョ=エルが残したメッセージを何かしらの形で受け取ったクラークが、真のスーパーヒーローとして覚醒する展開があるもんだと思っていたんですが、、、
クリプトン星の宇宙船を見つけたクラークが謎の装置を起動すると、なんとあっさりとラッセル・クロウ復活!
いや、正確には生き返ったわけではなく、ジョ=エルの意思がビジョンとして出現しているだけなんですが、立体映像やホログラムの類ではなく、普通に会話も出来るし、なんなら銃を手に敵を倒したりもできるわけで。
“残されたものから本当の父の想いを汲む”なんてもんじゃなく、普通にしゃべって教えてもらっていることにすさまじくゲンナリしてしまいました。

いや、わかりますよ。
もちろん、あれはあくまでもジョー=エルの「意識」。
本人は確かに死んでいて、ここにいる「意識」と連続した魂ではなく、その残滓みたいなもんなんでしょうよ。
でもね、傍から見ると普通に生き返っているようにしか見えないんですよ。

そして、こんな風に普通に会話とかできちゃうんだとしたら、ララの「母と呼んでもらうこともできない」「成長した姿を見ることができない」という想いをこらえての決心なんか、割とどうでもよくなっちゃうんスけど。。。

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他にも細々と気になるところはあります。

例えば、クラークの放浪時代はダイジェストっぽく編集されていて。
そのせいで時系列がいまいち理解できてないんですが、おそらくは地球での父の死後に世界を放浪していたんだと思います。
そうなると、父の死によって「本当に力を使うとき」を知ったはずのクラークが、酒場で出会ったメッチャ腹立つ野郎のトラックをメタメタに破壊しちゃっていたってことになるわけで。
その時は多少スカッとした気持ちにもなったものの、後々振り返ってみるとあのエピソードだけがすげーモヤっとしてしまいました。

実父の死と養父の死。それぞれがクラークの人格形成に重要な意味を与えてほしいところなんですが、実父は死んだような死んでないようなフワっとした存在だし、養父の死を経てもクラークは感情のままにスーパーパワーを使っちゃうし。。。
何なんでしょう、この二人の死のあんまり意味ない感じ!!

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それから最後の最後、クラークが最初に乗っていた宇宙船を爆弾に変えて超爆発⇛ブラックホール発生のコンボで決着するんですが、宇宙船を起動するのには「コマンドキー(クラークと一緒に地球に飛ばされた超ハイテクアイテム)」が必要で。
いざ宇宙船を爆発させようっていう時に、コマンドキーが宇宙船に刺さらないというトラブルが発生します。
その少し前に、エル家のキーで起動していた宇宙船をゾッドが自分のキーによってリセットしていたため、ここで完全に「宇宙船もゾッドのキーがなければ起動しないように設定が書き換わった」と思ったんですが、、、
なんとこのトラブルの原因は、「宇宙船の外装パーツがちょっとずれていた」ことによるもの。
パーツのズレをちょいと戻してあげると無事に起動しちゃうんですよ。

何コレ。。。
最後のシーンにハラハラドキドキを盛りたかったのはわかるけど、、、
え?何コレ。。。

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いやー、思い返してみるといろいろ気になるところが出てきたんですが、あと一つ、コレだけは言いたいのが、作中で「MAN OF STEAL」という呼称が使われないこと。
(もしかしたら使われたかも知れないけど、印象に残るようなものはなかったはず。)

本作の製作総指揮がクリストファー・ノーランってこともあって、最後のタイトルの出し方はどうしても『ダークナイト』を思い出しちゃうんですけど、あの映画って最後の最後に「あ!ダークナイトってそういう意味か!」と気付いたタイミングでタイトルがど〜んと出てくるのが気持ちいいわけで。
(ちなみに僕は映画を見るまで「ダークナイト」ってジョーカーのことだと思ってたくらいなんで、あのタイトルにはガツンと来ちゃいました。)

まあ、アメコミ映画の最高傑作とも言われている“アレ”と比べることが野暮なのかもしれませんが、タイトルが出る瞬間にもう少しカタルシスを感じさせて欲しいものでした。

そもそも、「スーパーマン」という呼称もハッキリと使われる感じではなく。
エイミー・アダムスが「スーパー…マ」と言いかけるところはあるものの、その後は「みんなアイツのことスーパーマンって呼んでますよ」という都市伝説みたいな話しか出てこなくて。
『アイアンマン』なんかもそうでしょ?トニー・スタークが「I am Iron Man」って言うところにちゃんと盛り上がりを持ってきてるじゃないですか!

そういう意味では、本作は「ヒーローもののお約束の醍醐味」が感じられない映画だったのかもしれません。

あとまあ、気になるところで言えば「ヒーロー、街壊しすぎ」ってのも感じずにはいられなかったり。これもまた野暮ですけど。

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というわけで、褒めたのは映像だけであとはグチだらけの感想になってしまいましたが、それでも満足か不満かで言えば「満足!」と言い切ってしまえるのが本作『マン・オブ・スティール』のスゴいところ。
それほどまでにとんでもない映像だったんですよ。

アクションシーンだけに留まらず、倒れてくるビルの迫力は割とまじめに“絶望”を感じちゃうクオリティだったし、「惑星の環境を人工的に変える」というワールド・エンジンのスケールのでかさも「実際にそれくらいのことをやってそう」と思わせる納得感のある映像に仕上がっていて。
「うーん、やっぱりIMAXで観てよかった!」と思える映画でした。

それから、登場人物全員が決して悪人ではないのも好印象。
敵の親玉「ゾッド」ですら、決して悪意の人ではなく、「仲間・同胞のため」に戦っているわけで。
「水道橋博士っぽい顔」と「ダサいあごひげ」のせいで見た目は全然カッコよくないんだけど、その生き様にはグッときました。
また、この手の映画では「クソ外道」や「マヌケ」として描かれがちな人間(特に軍人)も、ちゃんとかっこよく見せ場があるのもステキ!
「悪意を持って描いたヤツと対比させることで主人公のヒーロー性を際立たせる」というアプローチじゃなく、誠実にキャラクターを描こうという姿勢は素晴らしいと思うのでした。

そして、最後に出てくるマントを身につけた幼いクラークもイイ!!
「正しく力を使うことでヒーローになれた姿を、養父にも見せたかった」と思うクラークに対し、「幼いころの君に、父はその姿をちゃんと見つけていた。既に最初からわかっていたんだよ。」というアンサーの意味がこめられたシーンなんだと思うんですが、そういう映画の中での意味はともかくとして、最近歩きまわりはじめた息子の姿を重ねてしまい、超グッときてしまったのでした。
いやー、息子があんな風にマントなんかつけてカッコつけてたら萌え死んじゃうわ!

というわけで、いろいろ言いたいことはあるし、実際ブログに書いちゃってるんですが、このラストシーンで心に満ちてくるものは結構ステキな感覚で。
僕と同じように「息子を持つ父」であれば、感じておいて損はない感覚なんじゃないかと思うのでした。

いやー、「父」って大変なこともあるし、「母」に比べてないがしろにされがちだけど、僕もこうやって息子の可能性を信じてあげることのできる父になりたいもんだな〜。

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