異文化コミュニケーションのきったねぇ真実。 映画『第9地区』ネタバレ感想

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名画のバイブル『死ぬまでに観たい映画1001本』より、『第9地区』の感想です。

イキナリですが、僕はこの作品がすげー大好き。
公開当時映画館で観たんですが、友人の結婚式に参加し、2次会、3次会と経た後、“始発までの時間つぶし”のために六本木のTOHOシネマのスーパーレイトショーでの鑑賞で。
酒は入ってるうえのド深夜(たしかAM3:00開始だったはず。)ってことで、本編まえの予告の時点でうとうとし始めていたんですが、開始5分で心をつかまれまして。
眠気なんて余裕で吹き飛ぶインパクトに完全にやられちゃって、ブルーレイも予約して買っちゃうくらいにははまったものでした。

そして、こうやって『死ぬまでに観たい映画1001本』完全制覇への一歩として改めて見直してみたわけですが、、、
やはり、今観てもなお色褪せない、超おもしろい映画でした。

作品概要

2009/アメリカ 上映時間:111分 PG12
原題:District 9
配給:ワーナー・ブラザース映画、ギャガ
監督:ニール・ブロムカンプ
出演:シャルト・コプリー、ジェイソン・コープ、デビッド・ジェームズ

<あらすじ>
1982年、南アフリカ上空に突如UFOが飛来。政府は不気味な容姿をした異星人を難民として受け入れるが、やがて彼らの特別居住区「第9地区」はスラムと化す。2010年、難民のさらなる人口増加を懸念した超国家機関MNUは難民を「第10地区」に移動させる計画を立てる。

感想

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というわけで、個人的に“大好き”な映画である本作『第9地区』。
そんな本作の唯一無二の魅力って、一言で言えば“汚さ”だと思います。

この映画が公開された2010年前半って、2009年末に公開された映画『アバター』のインパクトがまだ残っている頃。
そして、「人間」と「異性人」を対比させることで人間のダメなところを見せるという意味では、『第9地区』と『アバター』はテーマ的によく似た作品です。
でも、映画の映像表現に1つ新たな歴史を刻んだとまで言われる『アバター』の映像“美”に対して、本作はすげー汚い映画。
(もちろん、VFXとしてのクオリティが低いという意味ではなく、異性人のヴィジュアル、人間たちの行動など、精神的に目を背けたくなるようなグロさをはらんだ表現が多いんですよ。)

ただ、『アバター』の語り口って「人間は醜くて、異星人はきれい。きれいなものは正しいでしょ!」という論理展開になっていて、そこがちょっと不満だったんですよ、僕は。
「キレイだから正しい」って、映像で見せられるとつい丸め込まれちゃいそうになる論理なんですが、実はものすごく差別的で選民主義的な思想なわけですからね。
(まあ、僕が大好きなディズニー映画でも“醜さ”が罰として機能するなど、「美しい=正しい」という思想は根底にあるわけで。それはそれでわかりやすくて良いという面もあるんですが。。)

そんな中、最後までエイリアンも人間も“汚く”描き、二者間のコミュニケーションも全く取れないままエンディングを迎えるのがこの『第9地区』という映画。
でも、そっちの方がはるかに“異文化コミュニケーション”の真の姿を描いているんじゃないかと思うんですよ。

異文化に触れた時、完全にそっちの思想にそまっちゃって「だから日本人はダメなのよ」的なこと言っちゃう人ってイタイな~と思っちゃうんですが、『アバター』にはそういう類の“イタさ”を感じでしまう側面がありまして。
実際のところ、全く未知の文化を100%理解するなんてことはほぼ不可能だし、外国語をしゃべれて理解できるようになっても、“わかりあうこと”なんてできないのが現実。
「あちらの文化が100%正しいから、俺はあちらのコミュニティーに入ります!」というのは、「こちらの文化が100%正しいから、あちらの文化を滅ぼしてしまえ!」という思想と表裏一体の極端すぎる考え方だと思ってしまって。

そういう意味での“異文化コミュニケーションの真実”は、『第9地区』の描き方の方がはるかに誠実で、ちゃんと正面から描いている作品なんだと思うんです。

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さらに、本作の思想に“恩着せがましさ”を感じない理由として、徹底して「非・偽善」の視点で描かれているところがあるんだと思います。

主人公のヴィカスをはじめ人間側は基本的に全員が嫌なヤツ。
人間側がここまで嫌なやつ揃いにするのであれば、普通は『アバター』みたいにエイリアン側に感情移入をさせるのがセオリーなんでしょうが、それをさせないのが本作。

エイリアンを“生理的嫌悪感”を刺激するビジュアルで造形しているもんで、どうしても本能的に感情移入を拒んでしまう。
このバランスが絶妙です。
まして、本作は作品の舞台や設定から「アパルトヘイト」の風刺として作られている作品なのは間違いないんですけど、そこに「エイリアンは古タイヤが大好物」なんていう設定を入れ込んでくるあたり、すごい“やな感じ”
(アパルトヘイトで黒人を焼く時に使われたのが古タイヤだったり、首にかけたタイヤに火を放って拷問したりと、“タイヤ”はアパルトヘイトの象徴のひとつなんですが、それを“大好物”という設定にしているところが実にエグい。。。)
なんて言うんでしょう、「映画を観る心持ちとしてわかりやすい着地点が無い」っていうんでしょうか、自分の立ち位置をどこに置いていいのかを見失うような、すごく不安になるシナリオです。

他にも、エイリアンの作った変な液体を浴びたせいでエイリアン化したヴィカスに対して“実験”を行おうとする人間たちは、「異物だとわかった相手には徹底的に残酷になれる」という人間の特性を体現していたり。
ヴィカスが逃亡した際に流された「ヴィカスはメスのエイリアンとセックスしたせいで変な病気に感染した」というデマは(ヴィカスの奥さん(支社長の娘)がヴィカスに近づかないようについた嘘ではあるが)は、「AIDSのルーツはどこぞの土人がチンパンジーとセックスしたから」というメチャクチャな話を彷彿とさせたり。
とにかく、「居心地の悪さ=なんか嫌な感じ」を感じさせる映像・展開が続いて、モヤモヤが収まりません!

ただ、「単純に人間を悪に見せて、異性人側に感情移入をしながら“正しい生き方”らしきものを見せて安心感を与えてくる作品」に比べると、本作の方が明らかに誠実な作品。
「こちらが悪で、向こうが善」。
それがはっきりわかっている状況だったとしても、自分の中の常識を放棄し、これまでと全く違う文化や考え方を受け入れるのってそんな単純なものじゃねぇぞ、と。
「昨日まで差別していた相手」を正しいと認めて、ましてその相手の思想を受け入れるなんて、そんな簡単じゃねぇぞ、と。
頭ではどちらが正しいかわかっいるけれど、それを受け入れきれない生理的な障壁がある。
歴史上いろんな国で差別はあって、今でもそれがなくなっていない理由って、結局はその生理的な障壁が原因なんでしょ。
「黒人を差別してはいけない」と思いつつ、「でもなんか嫌だ」って思っちゃう人がまだ世界にはいっぱいいて、それが今なお“問題”として残っている“差別”なわけでしょ。

そういう現実を、皮肉たっぷりに、でもド直球の表現(なんせ、異性人のビジュアルは「ゴキブリ」ですからね。作中では“エビ”なんて呼ばれていますが。)で突きつけてくるのが本作。
いやー、もう、なんて誠実な映画なんだ!!

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そんなわけで、テーマ設定の時点で“勝ち”といいますか完全にやられちゃった本作ですが、純粋なエンターテイメント作品としても魅力的な作品。
『ロード・オブ・ザ・リング』の監督ピーター・ジャクソンが製作にからんでるだけあってVFXのレベルは今観てもスゴイ(ただ、SF映画にありがちなキレイな近未来描写はなく、画面は常に汚いけど。)
「惑星間航行ができたり、すごい武器を持っているはずのエイリアンが何故難民に?」という根本的な疑問点にも合理的な理屈があって、SF映画にありがちな“ツッコミどころ”の数々を矛盾無くつぶしているプロットも見事。

そして何より、主人公ヴィカスのあまりに人間臭いキャラクターが超魅力的!

いやまあ、魅力的といえば語弊があって、こいつはすげークズ野郎で。
序盤の地上げ屋みたいなことをやってるとこはホントに腹立たしいし、特に「中絶だ!」と笑いながらエイリアンの卵を焼くシーンなんか、“吐き気をもよおすほどの悪ッ!”としか言いようが無い感じ。
それでも、徐々にエイリアンへと姿を変えていく中で、段々とその顔立ちがかっこよくなっていくんですよ。

これまた、感覚として『アバター』に似ているところで、『アバター』も映画を観ているうちに、あのナヴィ族の姿がかっこよかったりかわいかったりに見えてきたんですが、本作のヴィカスは「かっこよくなった」とは言うものの、まったくもって改心しているわけじゃないところが斬新。
おそらくあの野郎は、最終的な局面においてもなお「クリストファーを殺せば助かるよ」と言う選択示があったら迷わず殺して自分だけが助かろうとしたでしょう。
ただ、もう選択示が何も残っていない状況で、やけっぱちで取っている行動がやけに“人間的”で。
「もういいよ、やるならやってくれや!」というスタンスでクリストファーの乗った司令船へと放たれたミサイルをパワードスーツでガッツリと受け止める姿が醜くも美しい!

ヴィカスの物語は最後までまったく“美談”じゃない。
だからこそ、そんなに真面目でも優しくも無い僕は、あの行動にすごく共感できるし、あの行為にガツンと胸を打たれるわけですよ!

さらに言うと、本作の最後のカットは「すっかりエイリアンの姿になったヴィカスが、奥さんのために“花を摘む”」シーン。
人間的には本当にクズで、自己中心的で小心者で差別的な最悪の野郎なんですが、奥さんへの想いだけは本物だったことがしっかりと伝わってくるシーンで。
あのキャラクターで、自分の会社の支社長の娘と結婚してたら、そりゃあ“政略結婚”的なにおいを感じちゃっていたんですが、奥さんへの気持ちは本物だった。
すっかり人間離れしたヴィジュアルになっちゃったヴィカスですが、ここがもっとも“人間的”な一面を感じさせるカットなわけで、すげーグッと来ちゃいました。

かっこいいぞ、ヴィカス!

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社会派映画という雰囲気を感じさせるオープニングから、単純なアパルトヘイト批判とは言いがたい皮肉めいた展開で物語を牽引。
(なんせ、結局主人公は「白人」で、しかも語り手も白人。最後までエイリアンとのコミュニケーションはとれないわけですから。)
クリストファーというエイリアン側のヒーローを登場させ、作中最も紳士的で、作中で唯一「仲間の死にショックを受け、死者を弔う想い」を表出させる最も“正しい”キャラクターとして描きつつも、その姿は生理的に気持ち悪いため感情移入を拒むというモヤモヤ感を味わう前半は、非常に“考えさせられる”映画。

そこから中盤以降は一気にアクション映画へと舵が切られ、近未来兵器でドンパチしたり、パワードスーツでの重量感あふれるバトルが展開。
ラストシーンまで一気に描ききるエンターテイメント映画っぷりにテンションが上がりつつ、最後にはしっかりと余韻を残すエンディング。

というわけで、一言で言っちゃえば、いろんなタイプの面白さが一本の映画にギュッと詰まった作品で。
ただまあ、その詰め込み具合がバランスがいいのかは微妙で、序盤の社会派映画の雰囲気が好きな人には中盤以降の展開は軽すぎると感じるのかもしれません。
ただ、パワードスーツ大好きな僕にはたまらない展開でした。

そんなわけで、『第9地区』。
何度も書いたとおり、パッと見の画面が“汚い”映画ではあるので、そこが苦手という人もいるのかもしれませんが、その“汚さ”こそが意味を持つ映画なので、そこに嫌悪感を持たずに観ていただきたい映画なのでした。

同監督の作品『エリジウム』もぼちぼち公開間近。
今回も、スタイリッシュなSFとは一線を画した世界観のようで、超楽しみです!!
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