彼女を救おうとする想いが、彼女を追いつめる。 映画『マーサ、あるいはマーシー・メイ』ネタバレ感想

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まったくの前情報なしに、TSUTAYAでなんとなく手にした作品『マーサ、あるいはマーシー・メイ』。
これが、なかなかの傑作でした。

カルト集団に2年間在籍した若い女性が主人公で、唯一の身内である姉に保護され、姉と義兄との3人で過ごすわずか2週間の期間を切り取った本作。
カルトを離れ、安全で幸せな日常を過ごしてるはずの主人公がふとしたことをきっかけにフラッシュバックに悩まされ、我を失っていく様はかなり鬼気迫る展開で。
個人的には『ブラックスワン』なんかを思い出しちゃう作品だったんですが、ド派手にやりすぎた感のある『ブラックスワン』より、こちらの方がジットリと精神的に来る映画でした。
さらにラストシーンでのあの展開は、ゾッとするというか、ゲンナリするというか、ガッカリするというか。(もちろん、作品としてゲンナリ、ガッカリの駄作という意味ではないですよ。それが狙いの作品としては傑作だということはくどいくらいに言っておきたい!)

いやー、アルコールだったりドラッグだったり依存症っていろいろありますけど、ここでもやっぱり“一番怖いのは人間”
化学物質への依存よりも、“人間”、そして“人間関係”への依存って、一番いや〜な感じに怖いもんです…。

作品概要

2011/アメリカ 上映時間:102分 PG12
原題:Martha Marcy May Marlene
配給:エスピーオー
監督:ショーン・ダーキン
出演:エリザベス・オルセン、ジョン・ホークス、サラ・ポールソン

<あらすじ>
孤独で愛に飢えていた少女マーサは、山の上にあるカルト集団に入信し、マーシー・メイという新しい名前で生きることになる。それから2年後、マーサは1人で集団を脱出し、姉夫婦の別荘に身を寄せるが、マーシー・メイとして生きた2年間の記憶に苦しめられる。

感想

73 100点満点 scored by ultimate-ezマーサ、あるいはマーシー・メイ

というわけで、想像以上の意外な傑作だった本作『マーサ、あるいはマーシー・メイ』。

何がいいって、主人公マーサ(マーシー・メイ)を演じたエリザベス・オルセンがすげー良かった!
先日感想を書いた『レッドライト』という映画(正直、この映画はかなり微妙でしたが)でも、「やけにカワイイ女の子だな〜」という印象を残した彼女でしたが、本作ではさらなる魅力が爆発しています。

本作における彼女の魅力を一言で言えば「隙」
彼女の見せる“隙”、言い換えれば“無防備さ”が、彼女のキャラクターにすごいリアリティを与えているんですよ。

元々彼女はカルトの思想に影響を受けまくっていて、ちょっと常識はずれなところはある人物。
カルト集団に在籍していたころ、薬をキメてリーダーに犯されるという通過儀礼を経て、最終的にはメンバー内での乱交的なことも行われていたせいなのか、性的にかなり奔放で。
初対面の義兄の前でいきなり全裸水泳をはじめちゃうようなぶっ飛びキャラクターなんですが、彼女の醸し出す性的な意味での“隙”は、実はそういう直球なところからではなく、生活の随所でにじみ出ているんですよ。

それが一番わかりやすいのが、姉が留守中に彼女が床掃除をしているシーン。
ザックリと開いた胸元からたわわなオッパイが絶賛丸見え状態であることを全く気にすることなく義兄と会話を続ける様は、あまりにも刺激的!

そして、おそらくこういう“意図せず隙だらけ”な雰囲気こそが、“彼女を騙しカルトへと引きこむ者”を呼び寄せてしまったんだろうな〜と想像できてしまうわけで。
この辺り、キャラクターの造詣は非常に巧いな〜と思いました。

(まあ、この“無防備さ”があまりにも刺激的過ぎて、僕は勝手に「こりゃあ義兄とヤッてまうぜ!」という修羅場を想像していましたが、義兄はそんなゲスい男ではなく。そんなことを想像してしまった僕がただただゲスいという事実を突き付けられてしまい、激しく自分を恥じている今日この頃です。。。)

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というわけで、エリザベス・オルセンの演技が光る作品だったわけですが、逆にそれがある意味での欠点にもなっているのが本作の特徴。
まあ、“欠点”は言いすぎかもしれませんが、彼女がそもそも“隙”だらけで何を考えているのかがわからないせいか、基本的には彼女に感情移入することができない作品でした。

作品の構成として、「彼女がカルトを脱走し姉に保護されてからの2週間」という限定的な期間に焦点を絞った作品なので、そもそも彼女がカルトに入った原因や、彼女が脱走を決めた理由ははっきりとは描かれていなくて。
特に「カルトに入った原因」は全くの謎。
(blu-rayに収録されている前日譚的なショートムービー『Mary Last Seen』で、マーサと同じような少女があっけなくカルトに堕ちて行く様が描かれているので、きっとこんな感じで“なんとなく心の隙間を埋めてくれる”程度の理由で落ちていったんだろうな。という想像がつくようにはなっていますが。)
そのため、彼女の人となりを把握するための手がかりが非常に少ないんですよ。

また、姉と義兄に保護されている“現在”と、カルトで過ごした2年間の“過去”を並行で描くという形をとっている本作ですが、実際には「現実」と「過去」という2つの時間軸を描いているというわけではなくて。
“カルトで過ごした日々”のシーンは、あくまで「現在」に起きた些細な事象をきっかけに“フラッシュバック”としてよみがえっている「過去」なわけで。
そういう意味では、「回想シーン」もまた、マーサにとっては生々しく目の前に現れる「現在」。

そして、「“現在”として現れ出る“過去”」というフラッシュバックの恐怖を意図的に描いている本作は、(おそらくあえて、)「現実」と「過去」の切り替わりを曖昧に描いているため、物語の時間軸もまた非常にわかりにくくなってまして。

「マーサが何を考えているのかがわからない。」「今観ているものがいつの話なのかがわからない。」
常にそういうモヤッとした状態が続くので、正直なかなかストレスがたまる映画なんですよ。

そんなわけで、この演出を“欠点”と書いたわけですが、実はこのストレスはマーサの姉(および義兄)の心理状態と程よくマッチングしていまして。
物語の中盤あたりで、「ああそうか、この映画は姉に感情移入して観る映画だったのか」ということに気がついたんですが、ここで姉に感情移入をしちゃうと、“あのオチ”が本当にゲンナリしちゃうんですよ!

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というわけで、ここから先はオチの展開に対してガッツリとネタバレになりますが、カルトを離れ、姉の元で安心できる生活を始めたはずのマーサなんですが、「フラッシュバック」「パニック」といった症状は日に日に強くなり、どんどんと追い詰められてしまいます。
「私は教師でありリーダーだ!」という訳のわからない主張を始めたり、「お金や地位を“成功”だと考えるあなたの生き方はよくない!」と義兄を批判したり。
どちらも「カルトの思想」がベースになった主張なんですが、抜け出したはずのカルトの呪縛がどんどんと強くなっているようにも見えます。

果たして、マーサは何に追い詰められているのか?
これこそがカルトの恐怖なんでしょうけど、カルトはマーサに“役割”を与えていたっていうのがここで重要なポイントになってきます。
物理的な“居場所”だけではなく、“誰かに必要とされる”という精神的な、人間関係的な“居場所”を、カルトはマーサに与えていたわけです。

一方、保護されたマーサは、物理的な居場所こそあるものの、姉や義兄に頼りきりの毎日。
二人に“必要とされる”どころか迷惑をかけているような毎日なわけで。
そのことで自分のアイデンティティが揺らいでしまったマーサは、結局自分が必要とされていた頃の思想に頼ることでしかアイデンティティを保てないわけです。

「“保護すること”こそが、彼女を追い詰める」
もう、こんなのどうしたらいいんだよ!という最悪の状態なわけで、こんな状態まで人を追い込んでしまうカルトの恐怖がひしひしと感じられます。

そんなこんなで、結局マーサを保護することに失敗した姉と義兄は、マーサを病院に入院させることを決意。
後部シートにマーサを乗せて車を走らせるんですが、その背後から一台の車が煽るように着いてきます。
おそらく“カルト集団の追っ手”が乗っていると思しきその車。
その車を振り返るマーサと、「やぁね。変な車がついてきているわ」という姉と義兄の会話を最後に映画は終わってしまうので、車が本当にカルト集団のものなのかどうかは不明なんですが、車を振り返るマーサの表情がすごく印象的。

これまで、フラッシュバックの恐怖と必要とされないことによる自我崩壊でパニック状態だったマーサの顔が、車を確認した瞬間ふっと緩んで、ものすごく穏やかな表情になるんです。

この評定は、結局彼女の心が「カルト」にいたころに戻っており、彼女を追ってきたカルトの姿に安心をしちゃったということ。
姉と義兄が苦労した2週間は、まったくの無駄だったということを深く印象付けるラストシーンなわけですよ。

これがもう、ゲンナリ!ガッカリ!

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といわけで、結果的にはカルトの恐怖を描ききった全くスッキリ出来ない後味悪い映画だった本作。

教祖パトリックを演じたジョン・ホークスもまた表現力が凄くて、“圧倒的カリスマ性で信者をひれ伏させる”というのではなく、“人懐っこい笑顔と方容力で、信者の心の隙間に入り込んでくる”ことで人をコントロールしていく存在として、非常に説得力のある佇まいでした。
作中のカルト集団は、「女性信者を犯す」「信者に強盗を示唆」といった行動、そして何より教祖の風貌からチャールズ・マンソンをモデルにしているんでしょう。
僕はチャールズ・マンソンの事件についての知識はほとんどないんだけど、もう少しこのあたりの見聞があれば、もっとこの映画を楽しめた(逆にもっとこの映画に恐怖を感じた)のかもしれません。

カルト集団といえば、日本でも「オウム事件」が強烈で。カルトと言えばとんでもないことをやらかすテロ集団というイメージがあるもの。
チャールズ・マンソンが有名なのも、やはりチャールズ・マンソン事件のド派手な印象があってこそ。
そういう意味で「カルトってとんでもないことをやらかしそうだから怖い」という印象を持っていましたが、実はそういう派手な面ではなく、じんわりと人の心を破壊し、依存させていくことこそが一番怖いんだってことを痛感。
一度どっぷり浸かってしまった人を救い出すことの難しさもひしひしと感じる作品でした。

僕も、「ジョジョ信者」「ディズニー信者」なんて言葉を軽々しく自称したりしますが、なんといいますか何かに傾倒することって怖いんだな〜ってことで、表現も「信者」ではなく「ジョジョ好き」くらいにとどめておこうと思う今日この頃なのでした。。。

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