かつて“15歳”だったすべての人へ。 映画『フィッシュ・タンク』ネタバレ感想

FishTank poster

久々に『死ぬまでに観たい映画1001本』からの一作『フィッシュタンク』
(書籍掲載時のタイトルは『フィッシュタンク 〜ミア、15歳の物語』でしたが、副題は外れたようです。『HICK ルリ13歳の旅』なんかでも使われた定番型の副題ですが、なかなかダサいので外れてよかった!)

週2本づつ見ていけば10年弱で“1001本”完走か!と思っていましたが、いきなり数ヶ月のブランクが空いちゃってます。。
いやまあ、言い訳をさせてもらえば「2009年の映画が日本公開2012年でDVDレンタル開始は2013年の3月っておかしいだろ!」ってことで、『フィッシュタンク』のレンタル開始を待っているうちにブランクが空いちゃったというわけです。
まあ、『死ぬまでに観たい映画1001本』の掲載順に観ていく必要はないので一個飛ばしで観ればよかったんですけどね。

それはさておき『フィッシュタンク』。
正直、『死ぬまでに、、、』を読むまで存在すら知らない映画だったもんで全然期待してなかったんですが、いやいや、これは素晴らしい映画!!
一応世界的には2009年のカンヌ国際映画祭審査員賞を取っていたりと一定の評価を得ている作品だったらしいんですが、何でこんないい映画がまったく話題になってないうえに日本公開まで3年もかかっちゃってるんだい!!
先日感想を書いた『デタッチメント 優しい無関心』といい、こういう水準の作品がもっと大々的に取り上げられていただきたいもんですよ!
(今年は是枝監督の『そして父になる』が受賞したってことで話題にもなったことだし、今後は「カンヌ審査員受賞作」も要チェックで!)

『フィッシュ・タンク』作品概要

2009/イギリス・オランダ合作 上映時間:123分
原題:Fish Tank
配給:熱帯美術館
監督:アンドレア・アーノルド
出演:ケイティ・ジャービス、マイケル・ファスベンダー

<あらすじ>
学校から追放され、誰にも相手にされない15歳の少女ミアは、孤独な日々を送っていた。そんなある日、母親の連れてきた男がミアの人生を変えてみせると誓うが……。

感想

96 100点満点 scored by ultimate-ezフィッシュ・タンク

というわけで、想像以上の傑作だった『フィッシュタンク』。

何がいいって、まず“画づくり”が超イケてるんですよ!
御存知の通り、最近の映画ってシネスコとかワイドスクリーンとか言われるような“横長”の画面が使われることがほとんどなんですが、本作はスタンダード・サイズ(1.33:1=4:3)で撮影されていまして。
昔はテレビの放送がスタンダードサイズだったんですが、今ではテレビもビスタ・サイズ(1.78:1=16:9)の横長画面。
久しぶりにみるスタンダードサイズの画面は、感覚的には“正方形”にすら感じられるほどで、パッと見の印象がとにかく新鮮です。

そして、ただ単に“新鮮な見た目”というだけではなく、本作のテーマ的にこのスタンダードサイズの画面がバッチリはまっていて。

そもそも、映画の画面がどんどん横長になっていったのにはちゃんと理由があって。
その一番の理由は“没入感”なんだと思うんですよ。
人間の目の構造上、人は“横長”のものを見るとそれ以外のものが目に入らなくなるらしく、映画の中に没頭できる画面比を追い求めた結果、映画の画面はどんどん横長になっていったわけで。
まあ、“単純に画面を巨大化しやすい”というのもあって、映画というメディアにとって画面の横長化っていうのは必然だったわけです。

一方、本作はあえてスタンダードのサイズで作ることで、その“没入感”がある程度排除されていまして。
つまり、鑑賞している人は「まるで映画の中に入り込んだかのような・・・」なんてことを感じることなく、自分がはっきりと“映画の外”にいることを意識させられるわけで。
その結果、主人公ミアの日常に“入り込む”のではなく、“覗き見している”ような居心地の悪さを感じてしまうんですよ。

誰かの「極めて私的な日常」を知ることや見ることって決して楽しいことではないんだけど、なかなか目を逸らすこともできないもの。
こういう感覚を覚えるのはもちろんプロットやカメラワークもあるんですが、本作に関しては明らかに“画面比”がいい仕事をしています。

「今時ならシネマスコープサイズで撮っとけばいいか!」と決めちゃいそうな“当たり前”の部分にもちゃんとこだわって、しかもそれが凄まじく効果的な役割を果たしているっていうのが、スゴイ!!
こういうところからも、本作がこだわりぬいた渾身の作品だってのが伝わってきて、早くもグッときてしまいます。

FishTank01

さらにこの作品、音楽の使い方も超ステキ!!

いわゆる“ミニシネマ系”と言われる映画の例にもれず、本作もBGMってまったく無いんですが、主人公ミアがダンスを志していることもあり、劇中で“音楽を流す”シーンがいくつかありまして。
その中で印象的なのが『夢のカリフォルニア(California Dreamin’)』という曲。

この曲が劇中で流れるシーンは3つあるんですが、シーン毎に“曲の意味”がまったく違っていて。
それぞれの印象が全く異なる構成になっているのが見事すぎる!

曲自体はまったく一緒なのに、その曲が流れるシーンにおけるミアの状況の違い。具体的には母親の恋人であるコナー(マイケル・ファスベンダー)に対する“想い”が違っていることを見事に表現しているわけで。
これもまた“画作り”の妙といいますか。
画面を構成する色の違い、つまりは“光”の表現力で音楽に“意味”を持たせているわけです。

映画を語る上で“音楽”って絶対に切り離せないもの。
『スターウォーズ』『E.T.』 『インディージョーンズ』とか、『アラジン』『美女と野獣』『リトルマーメイド』『ラプンツェル』とか、ジョン・ウィリアムズやアラン・メンケンの音楽があってこその名作だよな~(他にも久石譲とかね。)なんてことを思っていたんですが、決して「“音楽”が“映像”を印象付ける」という一方向のものではなく、逆に「“映像”が“音楽”を印象付けている」っていうのは、考えてみれば当たり前のこと。

“音楽”の力と“映像”の力。
やっぱりそれぞれに映画の魅力だな~という当たり前のことを気づかせてくれる作品でもありました。

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というわけで、ストーリーに触れる以前の段階で、もはや大絶賛せずにはいられない作品だった『フィッシュ・タンク』。
これはもう、根本的な“映画の魅力”がギュッと凝縮された作品としか言いようがなく、『映画』が好きならばこの作品との出会いこそが至福!
「俺は今、こんなにスゴい作品を観ている!」ということ自体の多幸感がヤバイ作品でした。

というわけで、ようやくストーリーに触れるわけですが、これまた“象徴付け”が非常に巧く、絶賛せずにはいられません!

本作は「15歳の少女ミアが、クソみたいな日常から抜け出そうと足掻く話」というのが大まかなストーリー。
こう書くとものすごくベタな話で、「あぁ、若い時はみんなそうやって思うんだよ」と上から言いたくなるんですが、ミアの置かれている日常は「うん、、、まあ確かに抜け出したいよね。。。」といいたくなるほど劣悪で最悪な環境。
このあたり、“共感できそうなテーマに見えて、なんか微妙に共感できない”という絶妙な距離感の設定が見事です。

そんなミアの状況変えてくれるかに見えた人物がコナー(マイケルファスベンダー)。
母親の恋人(というかセフレ)としての出会いだったわけで、ミアにとっては“不快”なはずの人物なんですが、なぜか好印象を感じさせるのがコナーという男。

ただ、これってコナーがミアたち家族に対して保っていた“距離感”ゆえの好印象。
その“距離感”にもはっきり理由があることが後々わかるんですが、これといった具体的な説明もなく“コナーってこういう奴”を示すのがマイケル・ファスベンダーの表現力。
「爽やかイケメンなんだけど裏があり、どこか薄っぺらい印象を持たせる男。まあ15歳だったらコイツの本質は見抜けないよな~」という人物像を、しっかりと納得感のある佇まいで演じるマイケル・ファスベンダーがスゴイ!

(キャストで言えばミアの妹もいいキャラ!「生まれ変わるとどんな動物がいい?」というコナーの問いに、母親が「犬がいいな~」と答えると、食い気味のタイミングで「今だってメス犬じゃん!」という的確すぎるツッコミを入れる9歳って!!それでいて最後には超絶“萌え”させてくれて。たまりませんよ!!)

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そして、序盤から繰り返し登場していた“馬”の使い方も泣ける!

ミアの家の近くにつながれていた“老いた白馬”が度々描かれる本作。
その馬に自分を投影していたミアは、飼い主の目を盗んではその馬を逃がそうと何度も試みていまして。

その後、コナーとの出会いがあって、まあ“アレ”があって。
(本作に関しては是非ひとりでも多くの人に観てほしい作品なもんで“アレ”については本エントリーでは言及しないことにします。是非、映画を観て!!)
(それにしても、川での“アレ”はどうやって撮影したんだろう。長回しだったんで編集でごにょごにょやってる風にも見えなかったけど。。。あんな危険なことをそのままやってるはずはないんと思いつつ、気になります。。。)

最終的に、ミアは日常へと戻ってくるんですが、そこに“馬”の姿はなくて。
飼い主の少年曰く、「寿命だったんで射殺した。」「しょうがない。16歳は寿命なんだ。」と。

15歳のミアにとってこの言葉は恐ろしく残酷に響いてしまって。
つまり、自分はもうすぐ寿命なんだと。
「このまま、このクソみたいな日常の中で、ゆっくりと死んでゆくんだ」と。
それに気づいた時、ついにミアの決定的な何かが切れて、“アレ”の時にも出なかった涙と感情が、とめどなく溢れるわけです。

コレがほんとにグッと来る!!
そりゃあミアが置かれているほどの環境ってなかなか無いかもしれないけど、「クソみたいな日常にゆっくりと殺されていく」感覚って、まあ、わかりますもん!

映画において一番劇的なシーン(アレ)ではなく、この共感可能で普遍的な“痛み”を映画のクライマックスに持ってくるなんて、一見かなりトリッキーな構成にも思えるんですが、ミアの“痛み”と“叫び”に激しく感情を揺さぶられてしまって。
「映像」や「音楽」を巧みに使う技巧派な映画だったはずなのに、最後の最後に感情にガツンとぶち刺さる展開って、これはもうズルい!!

いやー、そうなんですよ。
いつだって僕は、こういう映画が観たいんですよ!!

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というわけで、「こういう感動を味わえるから映画を好きでいてよかった」と心から思える名作だった本作『フィッシュ・タンク』。

突然ですが、僕は長崎県の片隅のすっげー田舎の出身で。一年浪人して大学進学する19歳までその場所で暮らし、福岡、東京と北上を続けて今に至ります。
思い返してみると、長崎にいた最後の2,3年ってのはまさにミアが抱えていた感情に近いものをくすぶらせていて。
自分は特に何もしてないし、特にコレっていう才能も無いんだけど、「このクソみたいな環境から抜け出さなきゃ」という焦燥感にとにかくケツを蹴り上げられつづけるような毎日でした。
今となってはそこはぬくぬくとした幸せな環境だったんだけど、その時はとにかく何かに焦っていた気持ちを今でもハッキリと覚えています。

あの頃は、それこそ家族のことなんかも何故か憎んでいたりしたんですが、それも今となっては完全に僕が間違っていて。
実はしっかりと愛されていたんだよな~と思うんだけど、その頃は全くわかっていなくて。

そういう「中二病をこじらせていたようなイタい時代」の記憶をビンビンに刺激される作品だったわけですが、それだけではなく。
まるであの頃を思い返している“今”の僕の気持ちにも触れるように、最終的に街を出ようとするミアを見送ってくれるのは友人やコナーではなく母と妹。つまり家族なんですよ。

妹はまだしも、本作におけるミアと母って同じ男を取り合った関係で。
まあ、一般的な関係性から言えば相当歪んだ母娘なんだけど、それでも「親子」って絶対的な味方なんだよな~と思わせるラストシーンでした。

正直、親との確執っていうのは思春期だったら当たり前にあるもので。
それから、それなりの時間をかけたり、“諦め”のようなものを感じたりしながら良好になっていくのものだったりするじゃないですか。
それこそ10年とかの長期スパンで。

とまあ何でこんなことを書いているのかというと、本作でのミアの経験からラストシーンまでの一連の流れって、“親との関係性を再構築していくプロセス”を含め、「こんな田舎から早く出て行きたい!」と思っていた17歳くらいから、31歳になった今までの15年弱の僕の心情の変化をそのまんま追体験するような映画だったってことなんです。

いやー、もう。
こんなもん、感情が揺さぶられないはずがないでしょう!!コレは俺のための映画ですよ!!

というわけで、長々と私的なことを綴ってしまいましたが、全ての面において“完璧”と言っても過言ではない素晴らしい映画でした。
確かにこれは、『死ぬまでに観たい映画』だわ。。

Commentsこの記事についたコメント

1件のコメント
  • Trainspotting より:

    そしてこのレビューも完璧でした! ボクもこの映画で、20年もの年月を費やしてしまった自分の青春時代を思いだしました。でも、”I hate you、I hate you”のシーンはいくらなんでもズルいすよね ハッピーエンドとは言い難いがラストのミアの顔は忘れられない この映画は死ぬまでに後何回見るだろうか

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