これからこの国で子供を育てていくためのアタッチメント! 映画『デタッチメント 優しい無関心』ネタバレ感想

デタッチメント [DVD]

それなりにボチボチと映画を観ていると、「とりあえず、この人が主演しているんだったらハズレはなさそう」と思える役者さん、すなわち自分の中での“スベらない役者”ってのが出てくるものです。
最近だと、ラースと、その彼女』『ブルーバレンタイン』『ドライヴのライアン・ゴズリング、X-MEN:ファースト・ジェネレーション』『SHAME』『プロメテウスのマイケル・ファスベンダーなんかが僕にとっての“スベらない役者”。

そして、本作『デタッチメント』の主演エイドリアン・ブロディもまた、僕にとっての“スベらない役者”の一人です。
エイドリアン・ブロディといえば戦場のピアニストが一番の代表作なんでしょうけど、それよりもなによりもスプライスが最高だったよ〜!!

というわけで、若干話がそれてしまいましたが、スベらない役者エイドリアン・ブロディ主演ってことで、何の前情報も入れずに観た本作『デタッチメント 優しい無関心』。
決して派手な映画ではないものの、ズバ抜けた映像センスと、すさまじいほどの演者の表現力がほとばしる傑作で、世界観にひき込まれました。

いや〜、スベらんなぁ〜!

作品概要

2011/アメリカ 上映時間:97分
原題:Detachment
配給:オンリー・ハーツ
監督:トニー・ケイ
出演:エイドリアン・ブロディ、クリスティーナ・ヘンドリックス、ルーシー・リュー

<あらすじ>
「アメリカン・ヒストリーX」のトニー・ケイ監督が、ひとりの男性教師の視点から現代アメリカの荒廃した教育現場の実情を浮き彫りにした社会派ドラマ。臨時教師として公立高校に赴任してきたヘンリー・バルト。はじめのうちは生徒や他の教師たちと距離を置いていたヘンリーだが、いつしか彼らの人生に深く関わるようになっていく。

感想

91 100点満点 scored by ultimate-ezデタッチメント 優しい無関心

というわけで、エイドリアン・ブロディのスベらなさを再確認した本作『デタッチメント 優しい無関心』。
日本では東京国際映画祭のみでの公開で、一般劇場公開はなかったようですが、こういう映画をもっと観れる環境になってほしいもんです。

本作のテーマは教育現場の荒廃という社会問題。
「学校」というのは、日本でも映画やドラマのテーマになりやすい環境。
「荒れた学校を一人の教師が変える」という話は、『3年B組金八先生』やら『G.T.O』やら、少しづつ形を変えながらも、何度も描かれているストーリーです。

ただ、“洋画”となると、この手のテーマの作品っていうのはあまり観た事がなくて。
「学校で個性的な先生が生徒たちを“救う”」みたいなことで言えばいまを生きるなんかがそれに当たるのかもしれませんが、あくまであれはエリート校が舞台。
『金八』『G.T.O』のように、ヤンキーだらけの底辺校を舞台に社会問題に切り込んでいくタイプの“洋画”となると、少なくとも僕は本作が初でした。

テーマが近いため『金八』や『G.T.O』で描かれる問題と良く似た部分もあるけれど、お国柄のせいか“はっきりと違う部分”も多く、日本のドラマと「同じ部分」「違う部分」を見比べていくだけでもかなり興味深い映画です。

Original

例えば、「学校の価値」やそこで働く「教師の価値」が“数字”で測られるアメリカの学校は、“教育機関”というよりはもっと“ビジネス”に近い感じ。
効率化・システム化を追求しつつ、生徒や生徒の親への“サービス”の質を向上させることが命題で。
「学校が地域社会の中心」という構図は昔から変わらないように見えるものの、あくまで「成績を上げ、サービスを向上することで、人が集まる。人が集まれば不動産の価値が上がり住みやすい地域になる」というビジネス思考が基準になっていることを強く感じます。

まあ、日本でも「ビジネスライクな校長」という“わかりやすい悪”が描かれる学園ドラマはあるんですが、本作ではむしろ、校長を始めとした教員たちは“教育”に向き合う“熱意”をちゃんと持っている人たちで。
むしろ「このままじゃ経営が回らないから、少しでも学校をよくしよう!」「まずは生徒の親と話をしよう!」と懇親会を開くような誠実さを持っている人たち。
ただ、懇親会にやってきた親はたった一組だけでして。。
これもまた「教育は学校に任せとけばいい」という“合理化”の実体なんでしょうね…。

そんな“合理化社会”のしわ寄せは、“教育=ビジネス”とうまく割り切れていない教師たちや子供たちに降りかかっていて。
光の当たらない“底辺”で、彼らがゆっくりと磨り減っていく様は恐ろしくリアルでした。

ただ、“日本とは違う部分もある”とはいえ、日本っていまだに欧米をロールモデルにしちゃってるとこがありまして。
「アメリカではこうだよ」って言葉に弱かったりするじゃないですか。(僕もなんですけど)
実際、学校の“ビジネス化”って確実に進み始めているし、関東なんかに住んで子供を持ってみると「私立高校」と「公立高校」の関係性だったり。明らかに“教育格差”っていうのは日本にもあるわけでして。
本作『デタッチメント』で描かれている「日本の教育現場とは違う部分」っていうのが、あくまで「“今はまだ”違う部分」であるんじゃないかな〜とも思ってしまうんですよ。

うーむ。
これからこの国で子供を育てていく僕としては、子供との関係だけは“合理化”してしまわないようにしなきゃなぁと情熱をたぎらせるきっかけになりました!

Detachment2

とまあ、そんな舞台において、エイドリアン・ブロディ演じる主役のヘンリーは、底辺の公立高校に赴任してきた非常勤講師。
非常勤でいくつもの学校を渡り歩いているため生徒たちと深い関係を築けない立場にいるんですが、むしろそれを心地よく感じているのがヘンリーという人物。
なんですが、冷静沈着な仕事人というわけではなく、ヘンリーはヘンリーで熱い情熱を持っているところがヘンリーというキャラクターの面白いところでもあります。

ヘンリー自身、かなりヘビーな過去を持っていて、人間関係をうまく築けないのはある種の“病”。
ただし、少なくとも序盤ではその“病”がうまく機能していて、適切な距離を保ちながら“いい先生”でいることができたわけです。

でも、それってあくまで歪なバランス
表面上「いい先生」に見えているっていうのは、かなり奇跡的というか、不安定というか。
ちょっとしたことで、完全に壊れてしまうような状態なわけで。

事実、街で偶然知り合ったひとりの売春婦(エリカ)と共同生活を始めたことにより、他人と向き合わざるをえない状況が生まれた時、ヘンリーの日常は大きく動きます。

それは「誰かと向き合い、誰かの人生に“踏み込む”ことは、責任を伴う」という、これまでヘンリーが逃げ続けていたものと向き合うということ。
当然、それまでの居心地のよさは失われ、ヘンリーは深く苦悩することになるんですが、それは間違いなく、“正しく生きる”ための通過儀礼
苦しみながらも、Detachment(孤立・無関心)からAttachment(つながり・愛情)へと移行していくヘンリーの姿に、深く感動を覚えます。

他人とのつながりを希薄にすること(Detachment)な生き方は確かに合理的で。
世の中を“数字”で見た場合には正しい生き方。そして何より“楽”な生き方なのかもしれません。
でも、やっぱり人って“つながり”の中にいないと“幸せ”にはなれないんですよ!
たとえ「楽」でも、「幸せ」じゃないって、さびしいもんですよ!

ヘンリーの変化は、祖父の死や、一人の女生徒の自殺や、エリカとの別離などを伴い、“通過儀礼”と呼ぶにはあまりにヘビー。
施設に預けられたエリカの元を訪れるヘンリーの穏やかな笑顔や、ヘンリーの訪問に気付いたエリカの無邪気で無防備な笑顔はすげー幸せなシーンではあるんですが、そこに至る間に経たものがありすぎて、素直に「よかったね〜」とは思えないほどで。

でも、すげー複雑な感情が頭の中をグルグルと渦巻きながらも涙が止まらないという。
なんなんでしょう、この感覚?

ちょっとこれまでに経験したことのないような感覚なんですが、きっと「人と人とが繋がる」という奇跡に感動したってことなんでしょう。

ビバ!アタッチメント!!

というわけで、結局またいつものようにうまく説明できていないんですが、今、自分が誰かと家族をつくって、子供が生まれて、、、という“つながり(attachment)”を築いているという奇跡に、ちょっと心が震えていたりして。
なんというんでしょう、「こういう感動もあるのか!」という新鮮な驚きで一杯です!

Detachment3

ただ、ちょっと不満な部分もないことはなくて。

例えば、自殺してしまう女生徒・メレディスの存在。
ざっくり言うと、「家族から“無関心”に扱われて居場所をなくしていたメレディスは、ヘンリーとのつながりに希望を見出しヘンリーへ一歩踏み込んだ。でも、ヘンリーは一歩下がってしまった。」が故の自殺だったわけで。
ヘンリーからすれば、決してメレディスを拒絶したわけではなく、“適切な距離を守った”だけなんですが、すでに決定的にバランスを崩していたメレディスには致命傷になってしまったってことなんでしょう。
正直、ヘンリーの対応を責めるのは酷だし、目の前で自殺されることを考えると同情の余地しかないんですが、ヘンリーにも問題がないこともなくて。

ヘンリーって、無関心であることが処世術だったわりには、好意を持たれることにあまりに無防備なんですよ!
エリカとの出会いで変化している過渡期だったのかもしれませんが、あそこまで隙があると、過去にメレディスを量産していたんじゃないかとすら思えてしまいました。

また、ヘンリーから生徒たちへのメッセージとして「本を読め!」というのがあって、エンディングでヘンリーが朗読するのもポーのアッシャー家の崩壊の一節だったりと、“読書”推し。
趣旨としては

「メディアは様々な情報で洗脳し、我々を沈黙させようと手を尽くす。これは刷り込みによる大量虐殺(ホロコースト)だ!」「思考プロセスを鈍化されないためには本を読み、想像力を磨き、意識を高めて、自分自身の信念体系を作れ!」「自分を守れ!」

という感じ。

すげーいいこと言ってるな〜とは思うものの、その言葉を受けて生徒がどう変わったかのエピソードが無いせいか、ちょっと唐突な感じで。
さらに、ヘンリーは幼少期のエピソードも含めて「“無関心”が処世術」だったからこそ“書”が必要だったわけで。
最終的にはむしろ、「本を読むこと」よりも「人と繋がること」こそが大切だっていう話になっているもんで、なんだかますます「本を読め!」が唐突なエピソードに感じてしまいました。

さらに、これ「邦題」もどうなんでしょう。
原題の「Detachment」は、散々書いてきたように「無関心・孤立」を意味する言葉なんですが、「派遣」という意味もあって。
ヘンリーが非常勤講師で、問題のある学校へ“派遣”されている様子を意味している言葉なんだと思うんですよ。
それが、2時間弱のドラマを経て、あのやけにエモーショナルでやけにハイセンスなエンディングの最後に『detachment』というタイトルが提示されることで、「無関心」という意味での「Detachment」が(そして、逆説的に「Attachment(つながり・愛情)」の意味が)バシっと決まるんだと思うんですよ。

なのに、邦題だと「優しい無関心」という副題のせいで、はじめから「Detachment」から「Attachment」へ成長していくドラマって部分がネタバレしてしまっていて。
まあ確かに、こういうダブルミーニングのタイトルの邦題ってすげー難しいとは思うんですけど、本作に関しては副題は余計すぎたかな〜と思ってしまうのでした。

Detachment1

というわけで、不満点も少なからずあって、決して完璧とはいえない映画だった本作『デタッチメント 優しい無関心』。
ただ、ささいな不満点を完全に「なし」にしてしまえるほどに、すげーいい映画でした。

それは、散々上述したとおり「DetachmetnからAttachmentへの成長」がたまらなく感動的だったこと。
そして、「黒板を使ったアニメーション」やら「スチール写真」やらをふんだんに使った映像が超イケてること。
(エンディングでの荒廃した校舎の映像もかなりかっこよかった!)
そして、エイドリアン・ブロディだけじゃなく、出演している役者がことごとく良かったこと。
(カウンセラーのルーシー・リュー、学校でも家でも無視されまくって、やがて「自分が透明人間なんじゃないか」という妄想に取り付かれ始めている教員を演じたあの人とか。生々しさがすごい!)

内容もよければ、映像もよくて、演技もいい!
いやー、素晴らしい映画でした。
これからも、こういう映画をもっともっと観ていきたいものです。

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