自分のイヤ〜な部分を映す鏡。 映画『夢売るふたり』ネタバレ感想

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予告編やTVCMを見た印象として、「コメディ映画」を想像していたんですが、想像以上にシリアスで、かつ「イヤ〜な気分」になる映画でした。

そして、その「イヤ〜な気分」っていうのは、「お話自体がそもそも不快」ってことではあるんですが、それと同時に「自分自身のイヤ〜な一面を突きつけられる」という意味での不快さでもありまして。

「うわ〜、イヤな感じだな〜。」⇛「そして、これを「イヤな感じ」と思っちゃう俺って、イヤな奴だな〜。」⇛「こんな風に、自分のことを「イヤな奴」だと感じさせるこの映画、イヤな感じだな〜。」
と、イヤな感じのループが延々と続く感じに、ものすごい“気持ち悪さ”を感じる映画でした。。

作品概要

2012/日本 上映時間:137分 R15+
配給:アスミック・エース
監督:西川美和
出演:松たか子、阿部サダヲ、田中麗奈

<あらすじ>
料理人の貫也と妻の里子は東京の片隅で小料理屋を営んでいたが、調理場からの失火が原因で店が全焼。すべてを失ってしまう。絶望して酒びたりの日々を送っていた貴也はある日、店の常連客だった玲子と再会。酔った勢いで一夜をともにする。そのことを知った里子は、夫を女たちの心の隙に忍び込ませて金を騙し取る結婚詐欺を思いつき、店の再開資金を得るため、夫婦は共謀して詐欺を働く。しかし嘘で塗り固められた2人は、次第に歯車が狂い始めていき……。

感想

45 100点満点 scored by ultimate-ez夢売るふたり

というわけで、一言で言えばかなり「不快」な映画だった本作『夢売るふたり』。
長崎出身で、19歳からの6年間を福岡で過ごした身としては、作中の阿部サダヲと松たか子が使う博多弁に微妙な違和感があって気持ち悪かったってのが不快感の最大の原因なんじゃないかという気もしてはいるんですけどね。
(ちなみに長崎を舞台にした『解夏』という映画の田辺誠一の長崎弁は超ヒドかったんですが、「“超”ヒドい」だけに、今回の「微妙に気持ち悪い」よりは許せてしまうのが不思議なものです。まあ、田辺誠一の顔が“超”かっこいいから許せるのかもしれませんけども!)

ただ、そもそもふたりが「結婚詐欺をしよう!」という計画を実行する意図がイマイチよくわからなくて。
少なくとも里子(松たか子)は「よし!結婚詐欺や!」と言い出す人物には見えないんですよ。
途中、「実は最初の浮気に対する復讐として、貫也(阿部サダヲ)を苦しめたい」という意図が見えるシーンもあるんだけど、実際は里子の方がはるかに苦しんでいるわけで。
それでも、ふたりが(というより里子が)結婚詐欺を続けていく動機や理由っていうものは、共感できるレベルで描かれているとは思えません。

「火事で全てをなくした夫婦が、結婚詐欺で復活のための資金を集める」というのが『夢売るふたり』というお話の一番太い幹なので、「いや、“そういう前提のお話”だから」ということなのかもしれないけれど、やはり「結婚詐欺」という“普通じゃない”行動を取るからには、その理由付けは必要で。
特に中盤以降の展開を考えると、「ここまで来てしまったんだから、もう後戻りはできない」と納得できるようなエピソードは必要だったんじゃないかな〜と思ってしまいました。

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また、最後にふたりが「それでもふたりの心は繋がっている。」的な感じで、なんだかちょっとほっこりするかのような終わり方をするんですが、これも「う〜ん・・・」という感じ。
女の人の気持ちを、あんな風に適当にもてあそんだ男に全然バチが当たっていないってことがまず腹立たしいんですが、それ以上に、ここでもやっぱり里子の気持ちが理解できません。

というのも、田中麗奈を筆頭に数々の女を騙してきた貫也ですが、最後の滝子(木村多江)とのエピソードはそれまでのエピソードとは明らかに異質。
滝子との交際の中で貫也は、火事の時にもそれだけは守り、その後も肌身離さず持ち歩いていた包丁、つまりは“料理人の魂”をほっぽり出してしまっているわけです。
つまりこれは、「それまでの人生」を全部捨てて、滝子と人生をやり直そうとしているということ。
それを目にしてしまった松たか子が、階段を踏み外すほどに動揺し、突発的な行動に出ようとすることは、ものすごく納得がいくわけです。

ただ、その後、いろいろな偶然が重なって、いよいよ貫也が逮捕されてしまうわけですが、何故か貫也に用意されるエンディングは「因果応報」的なものではなくて。
明らかに貫也の帰りを待っている松たか子の姿と、どんな状況でもふたりの心が繋がっているということを予感させる、なんだか深イイ話風のエンディングなんですよ。

はっきりいって、貫也のやってきたことは人間的には最低の部類の行為。
そこに対するお咎めが無いっていうのは、どう考えてもぬるすぎるよな〜と思ってしまいます。

さらに、貫也が最後の最後に「料理人の魂」=「里子との人生」を手放しているというのは、里子に対する完全なる裏切り。
それなのに、貫也を見捨てずに繋がり続けようとする里子の心理が、これまたさっぱり理解できません。

う〜ん。ここでの里子の心理って、女性ならわかる心理なんですかね???

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というわけで、よくわからないまま結婚詐欺をはじめた貫也が、「落ち込んだりもしたけれど、私は元気です。」とでも言わんばかりの微妙に幸せそうな結末を迎えることに、すげー不快感を覚える映画だった本作。
ただ、貫也に対する不快感以上に、「自分の中にある嫌な部分」に対する不快感をまざまざと突きつけられる映画でもあるんですよ、コレ。

それは、物語中盤で貫也と出会うひとみという女性ウェイトリフティング選手とのエピソードで突きつけられます。

田中麗奈や木村多江なんかと比べると、ひとみは明らかに美しくない人物。
まあ、こんなこと言うのは我ながらどうかと思いますが、かなり「ブス」なんですよ。

そりゃあもう、結婚詐欺の仕掛け人であるはずの里子までもが、「さすがにあの子が相手じゃあんたもきついでしょ?」的なことを言い出す始末。
それに対して貫也は、「あの子は心がきれいだ!そんなこと言うお前の方がよっぽど醜いわい!」的なことを言うんですが、喧嘩した時のふとした拍子に、重量挙げで鍛え上げられたパワーに怯えてしまう始末。
そして、「大好きな人」である貫也が怯える様子を見て、「私のことが怖いの?私はバケモノじゃないよ・・・。」と泣く姿は、ものすごくキツいシーンです。

そして、何だかんだでやっぱり、このシーンを「キツい」と感じる理由って、ひとみが「ブス」だから
要するに、「美人でかわいい田中麗奈や木村多江はちょっとくらい不幸になってもまあ何とかなるけど、ひとみは「ブス」ってだけですでに十分不幸なんだから、これ以上はやめてあげて!」という心理が働いているということなんですよ。
例えば、「お金持ち相手に泥棒を働くねずみ小僧は正義の味方で、貧乏人相手に泥棒を働くのはクズ」という考え方ってあると思うんですけど、この感覚を“見た目”にも反映させてしまっちゃっているとでもいうんでしょうか。

本作を見て、ひとみのエピソードが「一番嫌だな〜。」と感じる人ってきっと少なくないと思うんですけど、それはもう「女の価値は“見た目”のみ!」という、どうしようもない思想の産物で。
ただこれって、どうあがいてもその思想からは逃れられそうにないというか、本能に近いレイヤーにしみこんでいる思想。
「そんなこと思っちゃダメだ!」と言ったところで、そう思わずにはいられないわけです。

いや〜、なんて言うんでしょう。
ただ映画を見ていただけなのに、「この映画イヤだな〜」という不快感に留まらず、「こんなこと考えちゃう俺ってイヤな奴だな〜」と思わされてしまうってどうなんでしょう。

こうやってブログに映画や小説の感想を書き綴っていると、「このエピソードが不快だった」みたいな表現ってよく使っちゃいがち。
でも、「不快さ」の本質は映画や小説の中にあるのではなく、それを見ている僕の中にあって。
映画や小説は、鏡のように「見ている人のいい面や悪い面」を反射しているだけなのかもしれません。

そうなってくると、僕が見ている「鏡」に映っている僕は、かなりイヤな奴ってことになるわけで。
正直、たかだか500円程度のレンタル代とはいえ、お金を払ってまで、こんな「鏡」を見てしまったことを、激しく後悔していますよ。。

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というわけで、物語に対しても、それを見ている自分自身にたいしても「不快感」を感ずにはいられない“嫌な映画”だった『夢売るふたり』。

冒頭でも書いたんですが、予告編のノリや阿部サダヲ+松たか子のキャスティングから、もっとコメディーよりの映画を期待していたし、実際に中盤までは結構笑えるシーンも多くて。
里子が書くカンペを棒読みする貫也が、田中麗奈から金を引っ張るシーンは、最高に笑えたりもしました。
ただ、徐々に空気の重さが変わっていくように鬱々とした映画に変わっていき、最後には「嫌なもの」だけが残ってしまって。
(まあ、オープニングのシーケンスの中で、ソープらしき場所で「あぁ〜!中に出して!」なんてシーンが入ってる時点で、なんかちょっと“嫌な映画感”は最初からあるんですけどね。)

阿部サダヲの演技や松たか子の演技はかなり「凄み」があったし、里子に共感できない部分はあるものの、映画の作りが極端に悪いわけではないんですけど、鑑賞後に残るのはただただ不快感のみ。

うーん。これは今までにあまり経験したことがないタイプの感覚です。

ただ、この“なんとも微妙な感覚”って僕が「男」だからっていうところも多分に影響があるのかもしれません。
あんな結末を迎えておいて、それでも貫也を待つ里子の心理とか、田中麗奈が語る「結婚がしたいわけじゃなくて、結婚すらできない女だと思われたくない」という言葉とか。
そもそもやっぱり、男には共感し難い感情なんですよ。

さらに言ってしまえば、「なんで貫也がこんなにもてるんだろう?」という点も、男から見るとあまりよくわからないというか。
まあ、こちらに関しては、現実でも「何でアイツが?」と思ったことは何度もあるので、むしろ「現実を現実と認めきれない」という“男ゆえ”の感覚なのかもしれませんけどね。

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というわけで、今日もまた話が迷走してぐちゃぐちゃの感想になってしまいましたが、なんと言いますか「男と女ってややこしいわね〜」という感じで。
まあ、僕はやっぱり「“女の価値は見た目”と思ってしまうのはやめられないんだろうな〜」と思いながら、生きていくことしかできないわけで。
まあ、そういうクズな部分をうまいこと隠しながら、女の人に嫌われないように、うまいこと生きて生きてゆきたいな〜と思うのでした。

刺されないように。

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