映画には、世界を変える力がある。 映画『トガニ 幼き瞳の告発』ネタバレ感想

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なんといいますか、最近のご時世の中でこんなこというと“アレ”かもしれないし、僕は長崎出身なので対馬の仏像とかもろもろ思うことはあるんですが、こと「映画」に関してはやっぱり韓国はスゴイ!

ここ数年だけを思い返してみても、『息もできない』を筆頭に『シークレット・サンシャイン』『殺人の追憶』『オールド・ボーイ』『母なる証明』『チェイサー』『グエムル-漢江の怪物-』『哀しき獣』『悪魔を見た』『アジョシ』などなど、ド級の映画だらけです。

これらの映画の魅力って、ひとことで言ってしまえば“容赦のなさ”
こちらが想定しているラインのはるか内側に、グイっと踏みこんでくる容赦ないシーンの数々から、目を逸らすことが出来ないほどのエネルギーを感じるところにあると思っています。

そんな中、本作『トガニ 幼き瞳の告発』もまた、とことん“容赦のない”映画!
“子供を持つ親”になったばかりのタイミングで観たことも影響があるんだろうけど、映画の元になっている実際の事件がまだはっきりと決着がついていないため、まったくスッキリ出来ない結末に打ちひしがれてしまって。
鑑賞後にも「しばらく立ち直れない」程ののダメージを受ける映画でした。

作品概要

2011/韓国 上映時間:125分 R18+
原題:Do-ga-ni
配給:CJ Entertainment Japan
監督:ファン・ドンヒョク
出演:コン・ユ、チョン・ユミ、キム・ヒョンス

<あらすじ>
韓国のある聴覚障害者学校で実際に起こった性的虐待事件を映画化し、韓国社会に波紋を起こしたサスペンスドラマ。
郊外の学校に赴任した美術教師のイノは、寮の指導教員が女子生徒に体罰を加えている現場を目撃する。やがて、その女子生徒が校長を含む複数の教員から性的虐待を受けていることを知ったイノは、その事実を告発し、子どもたちとともに法廷に立つ決意を固めるが……。

感想

93 100点満点 scored by ultimate-ezトガニ 幼き瞳の告発

というわけで、“容赦のなさ”に痺れるド級の映画だった本作『トガニ 幼き瞳の告発』。
役者の演技や映画としての演出も素晴らしかったんですが、それよりも何よりも、本作においては題材になっている「実在の事件」の胸糞悪さがスゴイ。
正直、「映画を見てここまで怒りが沸いたことは無い!」と断言できるほどの映画なので、軽い気持ちで見ることはお勧めできない映画です。

本作の題材になっている事件は、通称『トガニ事件』。
2000年から2005年にかけて、韓国の聴覚障害者の学校で生徒の少年少女らに対し、校長や教員による性的暴行が日常化していたという実際に起きた事件で、事件の残酷さ自体もさることながら、「教員らに対する判決があまりにも軽かったこと」「実刑を逃れた関係者がそのまま学校に復帰したこと」が話題になった事件。
いや、正確に言えば、“この映画が公開されたことで話題になった事件”です。

映画が公開され、ようやく世間的な注目を受けたことで、「障害者の女性への虐待に対する罰則の厳罰化」「障害者や13歳未満への虐待に対する控訴時効の撤廃」を定めた『トガニ法』が制定され、ようやく加害者に懲役7年の求刑が下されたこの事件。
信じられないことに、映画化されて話題に上るまでは新たな生徒も受け入れていたとされる学校も、ようやく廃校になったそうです。
<参照:トガニ事件懲役7年求刑、高麗大セクハラ事件実刑確定へ

つまり、映画を製作していた時点では、加害者の教員たちはまともな裁きを受けることなくのうのうと暮らしていたということ。
そのため、あくまで“事実”に沿って作られた映画の中では、加害者たちに正しい裁きは下らないんですよ。

「法廷モノ」の映画の定石とも言うべき『逆転裁判!』的なカタルシスは一切無く、スカッとするシーンといえば主人公がパクというクソ教師の頭を植木鉢でぶん殴るシーンくらい。
ハッキリ言って全然割りに合わないし、フラストレーションが溜まりまくる映画です。
ただ、そうやってフラストレーションを貯めた人たちが実際に立ち上がり、現実世界の方を変えて、(まだまだヌルい判決かもしれないけれど)この映画のエンディングを紡いだってことが本当に素晴らしい。

メディアが多様化した現代においてもまだ、『映画』には世界を変える力があるんですよ!!

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というわけで、“社会的な意義”という点で非常に価値のある作品だった『トガニ』ですが、純粋に“映画”として見ても素晴らしい映画でした。
なんと言っても役者の演技、特に子役の演技が素晴らしい!

地獄のような毎日の中で、教師たちへの復讐心を募らせる者。
怖ろしいほどに自分を客観視して、真実を伝えようとする者。
軽度の知的障害のため「自分がされたことの意味」を理解できていない者。
一人一人状況は違うんだけど、一様に真に迫るリアリティを持っていて。
聴覚障害の子供だからセリフはまったくないんだけど、副題の「幼き瞳の告発」を体現する“目力”によって表現される“感情”がグサグサと胸に刺さります。

特に、最後に決定的な悲劇を生むチョン・ミンスという少年のエピソードが本当に苦しかった。
ミンスは、パクという教師から殴る蹴る(これも常軌を逸したレベルで)の暴行と、性的虐待を日常的に受けていて。
さらに、ミンスの弟のヨンスもまたパクにより虐待を受けていて、しかもその虐待の結果「死」に追いやられているという、メチャクチャな状況にいる少年。
しかも、主人公のイノとの出会いを経て、ありったけの勇気を振り絞って学校を告発するんだけど、裁判の途中、ミンスの祖母が学校側から提示される示談に応じてしまうんですよ。

ただこれが、「祖母が金に目が眩んだクズ野郎だった」という単純な話ではなく。
<息子は障害のため寝たきりで、孫は聴覚障害者。嫁はそんな二人を置いて出て行ったきり。>という過酷な状況の中で磨り減っていた祖母に対し、甘い言葉で丸め込み示談を取り付けた学校側こそが悪で。
そして、本人の意思とは関係なく成立した示談によって、法律上は事件が終わってしまうということがおかしいとしかいいようないんですよ。

それでも、圧倒的な弱者であり、無知でもあるミンスにとっては、その状況を覆すことは不可能で。
だから、“ナイフで刺す”という暴力でしか、パクへの復讐を果たすことができなかった。
これまで自分を傷つけていたはずの“暴力”に自分自身も怯えながら、震えながらパクと刺し違えるという、どうしうようもなく悲しい結末しか迎えることが出来なかったわけです。

ミンスが最後に選んだ「パクを道連れに死ぬ」という結論は決して正しい選択ではなかったんだけど、その選択をさせた教員たち、そして社会が本当に腹立たしい。
だいたい『前官礼遇(「弁護士のデビュー裁判は勝たせることになっている」というクソな制度)ってどんな悪習なんだよ!!

そして何より、今まさに6ヶ月の息子を持つ親として、年端も行かない少年に対し、暴力と欲望をぶつけるパクという教員の存在は実に許しがたい!
ホント、出来ることなら俺が殺してやりたかったよ!

いや〜、怒りのままに文章を書き綴ってしまいましたが、本当に怒りが噴出する映画なんですよ。

そしてこの映画は、この“怒り”を社会に投げかけ、世界を変えた映画。
そういう意味では、この映画を観た人を立ち上がらせるほどの怒りを与えた子役たちの演技は素晴らしく、彼らの演技こそが世界を変えたと言っても過言ではないでしょう。

ただ、強烈に素晴らしい演技だっただけに、“あの事件”を追体験させた子役たちの心のケアをちゃんとやっているのか、ってことが心配になってしまいます。
本当に、彼らは大丈夫なんだろうか。。。

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というわけで、子供たちの「幼き瞳」の力が目立つ映画だったわけですが、主人公カン・イノを演じたコン・ユも素晴らしかった。

赴任した学校の異常さに気がつきながら、なんだかんだで結局何もしないイノは、実はなかなかイラつく人物で。
むしろ「自分は理解者だ」みたいな面をしながらも、校長たちの行動を止めない姿は最悪だな〜、なんて思わせてしまうのがイノという男。
妻を亡くし、体の弱い娘を一人で支えないといけない事情があるにせよ、「主人公なんだから立ち上がれよ!」と思わせてくるところも、この映画のフラストレーションの原因の一つだったりするわけです。

中盤以降、裁判が始まって以降も、相棒の女性であるユジンなんかと比べるとどこか足が重いイノ。
ただ、決して活動をやめることもしないんですよ。
この辺り、キッチリと動機が描かれないだけに、なかなかイノのキャラクターは掴みづらいものがあります。

そんな中、登場したイノの母親は、「せっかく決まった仕事先なんだし、娘もいるんだし、ちょっとした不正には目を瞑って、ビジネスライクに働けや!」的なことを言うんですが、そこで淡々と語るイノの言葉が本当にたまらないんですよ!

「この子がひどい目に遭った時 僕はそこにいた」「でも、何もできなかった」
「今この手を放したら、ソルにとっていい父親になる自信がない」

いやー、この言葉、ホントにガツンと胸に響きました。

彼は決して、「俺の手で世界を変えてやる」「みんな幸せに!」という壮大なことを考えることのできる器の人間じゃなくて。
むしろ、目の前でパクに殴られるミンスを見て、何も言えなかった弱い人間。
ユジンみたいに100%を子どもたちに注ぎ込めないのは、心に「迷い」すらあるからなんでしょう。

でも、どれほど弱い人間であっても「父」なんですよ!
ただそれだけで、差し出された手を握り返すことができるんですよ!

「父」になり守るべき人が出来るってことが、人を弱くすることがあるのも事実。
校長たちの行動を見てみぬふりをしてしまうイノの姿は、まさにそういう「弱さ」の象徴です。
ただ、「父」になり守るべき人がいるということは、やっぱり最後の最後ではものすごい「力」になって、人を強くしてくれるものなんですよ。

ありがとう譲くん!!(あ、うちの息子の名前です。)

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ただ、イノの行動に関してはちょっと「むむむ。。。」と思うところもあって。

それは映画のラストシーン。
ミンスの死をきっかけに、原告側を支えていた聴覚障害者たちはいよいよその拳を振り上げ、ミンスの葬儀場の前で座り込み、デモを始めます。
それを止めようと機動隊が出動し、放水車でデモに向かって放水するんですが、、、ミンスの遺影を持ったイノがその放水に自ら当たりに行って、ビショビショになりながら「ミンスを忘れないでください!」と叫び続けているシーンで映画は終わりを迎えます。

ビショビショになりながら叫びつづけるイノの姿は非常に印象的で、なりふりかまわない「必死さ」を感じさせるシーンなんですが、わざわざ放水に当たりに行くシーンがあまりに不自然すぎまして。。。

こんな映画でこんなことを考えるのは「僕の人間性の低さ」が露呈しているだけにすぎないんでしょうけど、「自分から当たりに行く」という動きが、天才芸人上島竜兵を髣髴とさせる動きに見えてしまうんですよ。
そして、すげー不謹慎だと思いつつも、それがツボに入ってしまって。。。

ただなんて言うんでしょう、どう考えてもあのシーンは、無理やり「必死さ」を出しました感がハンパじゃないんです。
現在進行形の事件に対して、映画的なクライマックスを作らなければいけないのかもしれないけど、最後の最後でちょっとだけ引っかかるシーンが入ってしまったのが、非常にもったいなく思えてしまいました。

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というわけで、最後に難癖みたいなことを書いてしまったものの、「観るものを釘付けにするエンターテイメント性」の面でも、「実際に世界を変えたという社会性」の面でも、どっからどう見ても超弩級の傑作でした。

そして、『トガニ』というタイトルが、これまた本当に秀逸。
『トガニ』とは「坩堝(るつぼ)」を意味する言葉で、坩堝とは、高温処理をおこなう容器のこと。
「出口のない密閉された空間で焼かれる」というイメージの言葉だそうです。
これは当然、学校内における子供たちの状態の暗喩なんでしょうけど、<虐待>なんていう直接的な言葉を使うよりずっと、子どもたちの絶望が感じられて。
なんとも鈍く心に浸透してくる言葉です。
こういう言葉のチョイスが、観客を「嫌〜な気分」へと誘いこむ要素になっているんでしょう。
スゴい。。。

ただ、映画の終盤でユジンが語る

私たちの闘いは世界を変えるためでなく、世界が私たちを変えないようにするため

という言葉がこの映画のメッセージなのだとすれば、<わたしたちを変えない>世界はまだまだ「実現した」とは言い難いのが現実。

今日の感想の中で、「この映画は世界を変えた」と散々書いて来ましたが、この映画が目指している世界はさらにもう1つ先のようです。

「映画は娯楽の一つ」という考え方が当たり前になっている現代において、ここまでの志を持った映画が生まれていたことに改めて驚愕してしまいます。

そして、「世界を変える」という極めて重要な一歩を踏み出す瞬間を、こうやってリアルタイムに目の当たりにするというのは、本当にスゴいこと。
さらに、この映画からスタートした流れが、これから<私たちが変わらずにいられる世界>を実現するほど波及していくのを見られるのかと思うと、「映画」の持つ可能性の「∞」っぷりに、何だか胸が高まってしまうのでした。

いや〜、やっぱり「映画」ってスゴいものなんだなぁ〜。

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