僕が言ってやる、聞こえるかい?「がんばれ!」 映画『希望の国』ネタバレ感想

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愛のむきだし』、そして『冷たい熱帯魚』の凄まじいまでのインパクトで一気に心を捕まれてしまって、「この監督の作品はすべて映画館で観る!」と決意していた園子温監督作品。

恋の罪』『ヒミズ』と劇場で鑑賞できたんですが、その次の作品である本作『希望の国』。これ、完全に見逃してました!

まあ、言い訳をさせてもらえば、僕の家から最寄の映画館である港北ニュータウンのワーナー・マイカル・シネマズが、何故かこの映画の公開を2ヶ月ほど遅らせてしまっていて。
まあ、関東に住んでいれば、他の映画館はいくつもあるんですが、ついついそのままスルーしてしまっていました。
そんなわけで「全作品を劇場で!」の誓いを早速破りつつ、DVDレンタル開始のこのタイミングでようやく観ることができました。

そんな本作『希望の国』は、『ヒミズ』でも結構重要なファクターとして扱われていた“震災”というテーマに、改めてガッツリと向き合った作品。
個人的には『ヒミズ』の方が好きかな〜とも思うものの、こういうテーマに“覚悟”を持って向き合っている園子温という監督はやっぱりすげぇな、と思える作品でした。

作品概要

2012/日本 上映時間:133分 G
配給:ビターズ・エンド
監督:園子温
出演:夏八木勲、大谷直子、村上淳、神楽坂恵

<あらすじ>
酪農家の小野泰彦は、妻や息子夫婦と平和でつつましい日々を送っていた。一方、隣家の息子は家業を手伝わずに恋人と遊んでばかり。そんなある日、大地震が発生し一帯の住民は避難を強いられるが、泰彦らは長く住み着いた家を離れることができない。そんな中、息子の妻いずみが妊娠していることが発覚する。

感想

70 100点満点 scored by ultimate-ez希望の国

というわけで、鬼才・園子温監督が『ヒミズ』という映画を経て、その一要素であった“震災”というテーマに改めて向き合った映画『希望の国』。

『ヒミズ』という映画は漫画の映画化作品でありながら、原作漫画とは根本的にまったく異なるテーマの映画で。
何より、ラストシーンを飾る「がんばれ!」という言葉に激しく心を揺さぶられる映画でした。

ただ、『ヒミズ』の鑑賞中は感動でむせび泣いた「がんばれ!」の言葉も、冷静に考えてみれば少し残酷な面もありまして。
というのも、『ヒミズ』のエンディングは、震災直後の瓦礫を背景に「がんばれ!」というエールがオーバーラップされた映像で。
これは、明らかに監督から震災で被害を受けた人たちへ向けた言葉なんですが、被災者に「がんばれ!」って言うのってちょっと厳しすぎるというか、優しくないというか。。
正直、一方的な天災で人生をぶっ壊された人にとって、「がんばること」は全然義務ではなくて。
「がんばらないで諦める」っていう生き方を否定することは絶対にできないわけで。
そんな人に「がんばれ!」って言葉をぶつけることは「ちょっとな~」なんて気持ちもあったんですよ。
(その点、『その街の子供』は本当に素晴らしかった!!)

まあ、たいした被災もしてなければ、がんばってもいなかった僕には、「がんばれ!」の言葉がガツンと響いたわけですけどね!

それを踏まえて、本作のテーマと『希望の国』というタイトルが発表されたとき、「今回もまたちょっと“酷”な映画になるんじゃないか」
そして、「『ヒミズ』の頃より冷静になっている分だけ、その“酷さ”をキツく感じてしまうんじゃないか」という不安もあったわけです。

そんな不安を抱えながらいざ観てみると、本作は意外にも「被災者に向けた映画」というわけではなくて。
むしろ、さっき「『ヒミズ』の頃より冷静になっている、、、」なんて思ってしまっていた僕の頭をフルスイングでぶん殴るような映画でした。

というのも、この映画って「震災はまだ何にも終わっちゃいないぞ!お前らなんで平然としてんの?」ってことを言っている映画なんですよ。

奇しくも、2週間ほど前に福島原発が停電してましたけど、あの頃なら大騒ぎしていたはずのこんなニュースもあっさりとスルーされている今日この頃。
確かに、これって相当イカれた状況なわけで。

「震災をテーマ」と聞くと、「24時間テレビ」的な“絆”を連呼するようなアプローチを想像しちゃうし、少なくとも“被災者”を扱う作品になりがちですが、ここに切り込んでくるとは!
やはり園子温は僕なんかの想像をはるかに上回るものを観せてくれる監督です!

1 large

そういうわけで、やはり“想像していたもの以上”を見せてくれた『希望の国』。
ただ、過去の園子温監督作品に比べると、“期待していたもの以上”とは言いがたい映画でもありました。

『愛のむきだし』や『冷たい熱帯魚』に代表される園子温作品の魅力。
それは、監督の作品とは知らずに観ていた『自殺サークル』なんかの頃から変わらないものなんですが、やっぱり、ある種の「過剰さ」だと思うんですよ。

登場人物の性格の濃さがとにかく常軌を逸していて、物語というレールを脱線しまくるとでも言うんでしょうか。
時に漫画的(というよりも「グラップラー刃牙」あるいは「筋肉マン」的)な言動で画面に収まりきれない“人間”を描くところが印象的で。
それこそが園子温という映画監督の“作家性”だと思うんですよ。

それが本作ではどうだったかというと、確かにいつもの園子温映画同様に常軌を逸した人たちは描かれていて。
それは、作品毎に存在感を増してくる神楽坂恵が演じるいずみの過度に放射能を恐れる様子だったり。(まあ、“いずみ”という『恋の罪』の時と同じ名前なのがちょっとノイズでしたが。。)
夏八木勲さんの津山三十人殺しすら髣髴とさせる鬼気迫るシーンからの、常識的な美的センスから言えば美しいとは言いがたい“あのキスシーン”など、やはり本作にも印象深いシーンというのは少なくありません。

ただ、それこそ『愛のむきだし』における満島ひかり、『冷たい熱帯魚』におけるでんでんに匹敵するほどの「過剰さ」を感じるシーンは見つからなくて。

それはひとえに、本作の根底にある“震災”そして“原発事故”という2年前に目の当たりにした現実が、そもそも僕の常識の範囲を大きく超えた、激しく「過剰」なものだったからだと思うんです。

常識的に考えれば神楽坂恵の行動は異常だし、夏八木勲さんの行動も異常。
ただ、「あのレベルの“異常な行動”であれば、自分だってやっていたかもしれない」と思えるほどの出来事を知っているわけで。
そういう意味では、園子温作品ですら“異常”や“過剰”に見えないほどに、震災という出来事がとんでもなかったということ。
まして映画のテーマ自体が、“常識的に考えれば”と冷静になっている人に対して、「こんなとんでもないことを常識的に考えようとしていることが“異常”なんだよ!」ってことを言っているわけで。

映画を観るまで自覚すらしていなかった「この状況に慣れていることの異常さ」に気づかせてくれたという意味では、間違いなくスゴイ映画ではあるんですけどね。

ちなみに、僕は、「メッセージを直接役者に言葉として言わせる」という演出が結構嫌いなんですけど、本作では村上淳が演じる洋一という男が、周りに対して「お前ら異常だ!」という直接的なセリフを言うシーンがあります。
ただ、本作においては、「それを言っちゃう」ということが、洋一の幼稚さを印象つける“演出”になっているのが巧い!
いや〜、これなら文句はないんですよ!!

希望の国 サブ3

ただ、“被災者”に対してちょっと「残酷」かな~と思う箇所はやっぱりあるにはあって。

特に気になったのは、でんでんの息子とその彼女が、彼女の家があった場所を尋ねる場面。
津波で流された場所に通い続ける二人の前に、「幽霊」なのか「座敷わらし的な妖怪」なのかよくわからないけれど、少なくとも“この世のものではない”と思しき子供が現れるんですが、その存在が二人に対し、暗示的な言葉を残すんですよ。
それが、「一歩二歩三歩なんておこがましいよ。これからは一歩、一歩ですよ」という言葉。

この「一歩、一歩」という言葉は、この映画の根底にずっとある思想で、エンディングにまで使われるほど重要な言葉。
映画を見終わる頃には、かなり心に沁みる言葉ではあるんですが、被災した人たちが「二歩三歩」進むことって、“おこがましい”ことなんでしょうか?
“おこがましい”という言葉には、“被災したことが何かの罰である”かのようなニュアンスが含まれていて。
確かに「一歩、一歩」進んでいくことは大事なんだけど、それは決して“おこがましい”からではないですよ!

というわけで、この言葉に潜む「残酷性」にちょっとだけ嫌だな〜と思ってしまいました。

希望の国 サブ4

ただ、おそらくこの「残酷性」について、園子温監督は意識的なんじゃないかと思うところがあって。
その象徴が、大谷直子が演じる認知症の女性・智恵子の存在です。

認知症で時間の感覚を失っている彼女は、家にいるときでさえ「もう帰ろうよ」という言葉を何度も口にします。
そして、夫である泰彦は、それに対し「あと10分経ったらな」「あの時計の針が9のとこまで行ったら帰ろうな」と、これもまた“何度も”繰り返すわけです。
二人の時計の針はまったく進まないままで、これは映画のテーマでもある「“あの時”から何も変わっていない」という現実をよりシビアな形で印象づけていると同時に、この夫婦が映画を象徴する言葉「一歩、一歩」を歩けない者たちであることも意味しているわけです。

結局、彼ら二人が時計の針を“一歩”進める(静止した時間から抜け出す)ためにはあの選択をするしかなかったわけで。
そして、そんなタイミングで「一歩、一歩」の言葉と共に、『希望の国』というタイトルが提示されるわけです。

震災がおきてから、まだ何も変わっていない。
でも、「一歩」を踏み出すことが出来ずに同じところに留まっていることも許されない。
やっぱり本作『希望の国』は、「一歩、一歩」歩くことでしか人は生きていくことはできないってことを言っている映画なんですよ。

これはつまり、『ヒミズ』の時と同様に、被災者に対して『がんばれ!』という残酷な言葉を突きつけているということ。
そして、タイトルにもある『希望』という言葉は、そういう残酷さを持った言葉なんだってことをも、改めて突きつけられてしまいます。

ただ、あれほどの震災の後なんだから、本来ならば「頑張らず、一歩も踏み出さなくても生きていくことが許される」のが“優しい社会”なんでしょうけど、「今のまま生きること」を許されなかった夏八木勲と大谷直子の二人は、ああするほか道はなかったわけで。
それでも、どうしても彼らを救いたいのなら、それがひどく残酷なことだと知ったうえでなお、「がんばれ!過去を捨てて、もう一度ゼロからがんばれ!」と言って立ち上がらせなければならないわけですよ。
それが本当に幸せなことなのかもわからないけれど、「生きる」ことを絶対とするならば、がんばらなきゃいけないし、「がんばれ!」と言わなければいけない。

それを踏まえてみると、本作『希望の国』が、「希望」という言葉の残酷さを見せた上で、それでも“あえて”「がんばれ!」と言うことを選んだ作品であることがわかってきます。
無自覚に被災者に“がんばれ”という残酷な言葉を投げかけているわけではなく、あえて。

そういう意味では、やれ「残酷だ!」なんて言い訳をして「がんばれ!」を言えない僕は、ただめんどくさそうなところから逃げているだけ。
『ヒミズ』の頃から変わらず、あえて「がんばれ!」といえる園子温監督の器に、「やっぱりこの人はすげぇや」と思わざるをえないのでした。。

そして最後に、なんだかんだ言って本作は「愛」の映画。
震災に翻弄されながらも、それぞれが「愛」を貫くんですが、やっぱりここでも夏八木勲と大谷直子の愛がスゴい。
僕も結婚して丸4年近く経ち、子どもも出来て幸せなんですが、本作で夏八木勲が取る「最愛の人だからこそ、自分の手で、、、」という行動は、頭では理解できても実行できる自信はまったくありません。
真に誰かを愛するということは、あそこまでの覚悟を必要とするものなのか。。。

子どもが生まれたことで「家族」という単位を強く意識することが増えてきた今日このごろですが、家族を持ち、ましてそこで「主」という役割を担っている以上、いつの日か、“ああいう決断”をしなければいけない時が来るかもしれないという覚悟を持ったうえで、家族を愛していきたいな〜と思うのでした。

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