子育ての「正解」って何だろう、、、 映画『籠の中の乙女』ネタバレ感想

Poster先日観た『宇宙人王さんとの遭遇』のDVDに収録されていた予告編がえらく面白そうだったので、レンタル開始早々に観てみました。

想像していた映画とはずいぶん雰囲気が違ったんだけど、「常軌を逸した“独自ルール”に縛られた一家」を描いたマジキチ映画っぷりは最高でした。
ハイセンスなブラックユーモアに爆笑しつつも、張り詰めた空気の中で唐突に訪れる暴力描写の破壊力はバツグン。
特に主人公である「長女」が「次に何をするのか?」ってところがまったく“予測不能”で、一時たりとも画面から目が離せません!
映画全体のトーンはミヒャエル・ハネケの映画のような文学性を感じさせる作品ながら、「笑えばいいの?怯ればいいの?」混線するような感覚は、あの不思議映画『ムカデ人間』なんかを思い出してしまいました。

うーん。よくわからない部分も多かったし、映画の感想として一つの感情に絞り切れない複雑な感情をもたらす映画という感じ。
ただ一つ、間違いなく言えるのは、僕はこの映画が結構「好き」です!

作品概要

2009/ギリシャ 上映時間:96分 R15+
原題:Dogtooth
配給:彩プロ
監督:ヨルゴス・ランティモス
出演:クリストス・ステルギオグル、ミシェル・バレイ、アンゲリキ・パプーリァ

<あらすじ>
ギリシャ郊外に暮らすある裕福な一家は、外の汚らわしい世界から守るためと、子どもたちを家の中から一歩も出さずに育ててきた。厳格で奇妙なルールの下、子どもたちは何も知らずに成長していくが、ある日、年頃の長男のために父親が外の世界からクリスティーヌという女性を連れてきたことから、家庭の中に思わぬ波紋が広がっていく。

感想

72 100点満点 scored by ultimate-ez籠の中の乙女

というわけで、冒頭からこの映画を褒めているのかけなしているのかよくわからない文章になってしまっているんですが、本作はそれほどまでに「どういう感情を持てばいいのかがよくわからない」映画なんですよ。

冒頭にも書いたように基本のプロットは「常軌を逸した“独自ルール”に縛られた一家」を描いた映画で。
「“海”とは革張りのソファーのことです。」「“ゾンビ”とは黄色くて小さい花のことです。」なんていう意味不明のルールに縛られている子どもたち(といっても二十歳過ぎたいい大人なんですが)の姿は、不条理コメディでも観ているような可笑しさがあります。
他にも、「家の外には”ネコ”という凶悪な生き物がいるので外出しては行けない。」というルールの元、“ネコ“に対抗する手段として「犬の鳴きマネ」をガチテンションで練習している様や、家に侵入してきたネコを巨大な剪定バサミでトリャーっと一撃で断じる長男の姿など、ブラックでシュールな笑いの精度は極めて高い映画です。

ただ、「ブラックな笑い」と同時に、「決して笑えないイヤ〜な気持ち」にさせられるのもこの映画の特徴。
冒頭からのよくわからない“独自ルール”が、実は「家の外」を示唆するもの(海、高速道路、遠足、電話など)を兄弟から遠ざけるためのルールだったことに気付いた瞬間は、とにかくゾッとしてしまいました。

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また、序盤から「長男の性欲を満たすためにどこかから連れてきた女」が登場するんですが、コイツの存在がなかなか厄介なんですよ。
完全に外界から切り離された「一家」に、外界からの刺激をもたらすのが、本作における“女”の役割で。
結果として「長女」が「籠」から外界へと旅立つことができたっていうのは確かなんですが、それが単純な「希望」にはなっていないのがこの映画の怖ろしいところ。
確かに「家の中」からは脱出したものの、どう考えても彼女が幸せになる未来が見えない。それどころか、彼女はあのまま「トランクの中」で息絶え、朽ち果てていくんじゃないかとすら思えてしまうような結末で。
当然あの家の中で生き続けることが客観的に見て幸せではないとは思うものの、結局「何も知らずに過ごすこと」が最善だったんじゃないかとすら思ってしまいました。

まあ、それ以前に、彼女は「長女」に外界の品をプレゼントする見返りとして「マ○コを舐めさせる」というゲスい性癖を振りかざすスゲー腹立たしい存在でもあって。
「そもそも、「SECURITY」の肩章をつけているお前は一体何者なんだよ!」と、意味の分からない怒りが湧いていたりもしてきちゃいました。
最終的に彼女が長女に渡した「ビデオ」が一家の破滅を招き、その報復に「父」がビデオデッキで彼女をぶん殴るシーンでは、「殴る」に至るまでの間が絶妙だったせいか不本意ながらも爆笑してしまって。
彼女にたいする不満が募っていたせいか、不本意ながらも妙にスカッとした気分になってしまいました。
(対となる「ビデオを観てしまった長女への罰」のシーンも同じく大爆笑。ビデオテープにガムテープを巻きつけるシーンのゆったりしたテンポからのフルボッコは、松本人志のコントにも通じるものがありました。うーん、やっぱり好きです、この映画!)

ただ、その後、「やっぱり誰かが長男のの性処理をしなければならないよね」ってことで、「姉妹+長男で入浴」→「長男が気に入った方とセックスする」という展開はすさまじく不快。
結局、やっぱり「決して笑えないイヤ〜な気持ち」に着地させられる辺り、この映画、ほんとに優しくない!!

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さらに、「マジキチ一家」を破壊するものが『映画』であるってところも、この映画の非常に特徴的なところ。
外界からの女から借りた「ビデオ」を観たことで、長女は自分の家の異常性を知り、「そこから逃げ出したい!」という考えを持ってしまうんですが、そのビデオっていうのがおそらく『ロッキー』『フラッシュダンス』
ビデオを観た翌日の唐突なシャドーボクシングシーンと、映画のクライマックスとも言える”あのダンスシーン”からの推測なんですが、ギリシャ人の奇妙な家庭をぶち壊すのが、バリバリのアメリカ映画なんですよ。
単純に考えれば、『ロッキー』も『フラッシュダンス』もアメリカンドリームの映画。どん底からの『希望』にあふれる映画なわけなんですが、上述したように、この映画のエンディングは決して『希望』のエンディングではないわけで。

『映画』による救いのように見せかけて、実は「アメリカ映画って希望のようなふりしといて、実は「映画」の品位を下げて、“気高くて崇高なヨーロッパの映画”をぶち壊したのよね〜」的なメッセージを感じてしまうのは、僕の考えすぎでしょうか?

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さて、本日もまた文章が長くなってしまっていますが、それほど「いろんな深読みの余地」があるのがこの映画の何よりの特徴。

中盤あたりで、「近々、お母さんは”双子”と”犬”を生むことにした!」という謎の宣言をして、その後犬の飼育施設から犬を引き取ろうとする展開があるところから、「じゃあ”双子”もどこかから調達するつもりなのか?」→「この両親は過去にいもそういうことをしてきた人?」→「てことは、この3人の子どもたちも実の子供じゃなくて、どこかから調達(誘拐)してきた子どもたちなの?」なんていう“読み”も出来たりして、とにかくいろんな解釈の出来る映画なんだと思います。

ただ、今まさに子育て真っ最中で、4ヶ月になる息子の育て方に奮闘している僕にとっては、この映画はやはり“教育”がテーマの映画だという見方になってしまいます。

少なくともある程度の年齢になるまでは、良くも悪くも子供っていうのは親が作った「籠」の中だけで生きるわけで。
子どもを「自由」に育てたいとはおもうものの、安易に「自由」を与えることが幸せを導くとは限らないわけで。
「何も知らないこと」が一番幸せというシチュエーションだって当然あるわけなんですよ。

いやー、考えれば考えるほど、子どもの育て方には「正解」は無いんだってことを痛感してしまいます。
ただ、子育てに「正解」は無いとしても、明らかな「間違い」はあるはずで。
少なくとも、なるべく間違わないようにしなければいけないな〜と思うのでした。
そして、籠の中から子どもを外界へと旅立たせる時、その目には「希望」を持たせたいと思いながらも、安易な「希望」は絶対にろくな結果を生まないんだということを肝に銘じようと思うのでした。

あらゆるネガティブなものが詰まっていた「パンドラの箱」の一番底に入っていたとされる「希望」。そんな場所にあったものが、“ただただポジティブなだけのもの”なわけはないのだから(名言風の締め)。

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