歌とは、伝える力。これは圧倒的な“感情”の映画! 『レ・ミゼラブル』ネタバレ感想

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昨年10月に子どもが生まれて、「なるべく子どもと一緒にすごす時間をとりたいな~」ということで、映画館にまったく行かなくなっていたんですが、、、
先日の僕の誕生日、奥さんからのプレゼントが映画の前売り券+「たまにはゆっくり観ておいでよ」という粋な言葉だったので、お言葉に甘えてゆっくりひとり映画に行ってきました。
約3ヶ月ぶりの映画館でしたが、やっぱり映画館で観る映画はイイ!!

もちろん今回観た『レ・ミゼラブル』がかなりの傑作だったってところも大きいんですが、映画館で観る映画と家でDVDで観る映画はやっぱり別物で。
今年もやっぱり良い映画は映画館でみ観たいもんです。育児の隙をつきながら!

作品概要

2012/イギリス 上映時間:158分 G
原題:Les Miserables
配給:東宝東和
監督:トム・フーパー
出演:ヒュー・ジャックマン、ラッセル・クロウ、アン・ハサウェイ、アマンダ・セイフライド

<あらすじ>
パンを盗んだ罪で19年間服役したジャン・バルジャンは、仮出獄後に再び盗みを働いてしまうが、罪を見逃してくれた司教に感銘を受けて改心する。やがて運命的な出会いを果たした女性ファンテーヌから愛娘コゼットを託されたバルジャンは、執念深いジャベール警部の追跡を逃れ、パリへ。バルジャンとコゼットは親子として暮らすが、やがて激動の時代の波に飲まれていく。

感想

92 100点満点 scored by ultimate-ezレ・ミゼラブル

そんなわけで久々の映画館での鑑賞となった『レ・ミゼラブル』ですが、これは本当にスゴかった。

原作小説が世界的名作で、ミュージカル舞台版だって世界的に名作認定されているような作品で。
「まあ、これだけポテンシャルの高い物語の映画化であれば、よっぽどのことが無い限りスベらないだろう」という雑な姿勢での鑑賞だったんですが、ガツンとやられてしまいました。
というのも、よっぽど変なことをしない限り“無難”ながらも“安全に”名作を生み出せるはずの『レ・ミゼラブル』という物語に対して、今回の映画化はかなり変な作り方をしているんですよ。
それは、「普通であればそういう構成にしないだろ!」と思うほどで、かなりバランスの悪い偏った構成と言えるでしょう。
そして、その「偏り」こそが、本作を「全然無難じゃない傑作映画」たらしめているわけです。

無難に作っておけばそれなりの名作になる題材に対して、あえて外したら取り返しの付かないような変なアプローチをして、それをキッチリと「スゴい映画」に仕上げている。
いやー、トム・フーパー監督恐るべし!
やっぱり、あの『英国王のスピーチ』を生み出した実力はハンパねぇ、と思わざるをえません!

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さて、そんな“変な傑作映画”だった『レ・ミゼラブル』ですが、前述のとおり本当にバランスが悪いというか、極端な映画でした。
一言で言えば“「歌」を見せるという一点だけ”に焦点を絞りきっていて、それ以外の要素については異常なまでに排除されている印象です。

例えば、一般的なミュージカル映画の「歌のシーン」で中心となるものが歌い手の感情ってところは本作も一緒なんだけど、常識的な演出をやるとすれば、その背景で物語を進行させたり、情景描写を入れ込んだりという“三人称視点”的な描写が入ってくるはず。
一方の本作では、「歌のシーン」では、歌い手の感情“だけ”しか見せないんですよ。
役者の顔の極端なクローズアップを多用することで画的な面白ささえも排除し、とことん徹底して「歌」だけを見せ続けるというのは本当に極端なアプローチ。

「背景で何かを描くことをやらない」ことの徹底ぶりがうかがえるのが、ジャン・バルジャンが教会で自分の行いを悔い改め正しい人生を歩むことを決意するシーン。
最後に教会を飛び出し、仮釈書を破り捨てるところで若干のストーリーテリングがあるものの、そこに至るまでは教会の廊下をウロウロと行ったり来たりするばかりで、背景にまったく変化が無いんですよ。
「歩きながら歌う」ことで、ジャンバルジャンが新たな人生へ向かって前向きに歩き出すことを表現しているようにも見えるんだけど、結果的に「同じ場所を行ったり来たりさせてしまう」というのでは、表現としては明らかにうまくないわけです。
(他にも、ラッセルクロウが演じるジャベールが歌うシーンの多くで、「その場を行ったり来たりしながら歌う」という表現が多用されてました。)

そんな感じで、歌のシーンでは背景からあらゆる要素を取り除き「歌だけ」を見せる演出が多く、しかも「間」もたっぷり使っているため、物語が全然進まないというのも本作のうまくないところ。
元々158分という尺は比較的長めの映画ながら、それ以上に「長い」という印象を受けています。

さらに、じゃあどうやって物語を進めるのかと言うと、「○年後、XXXはこうなっていた。」というテロップで物語を一気に進めちゃうんですよ!
これも、どう考えても演出がうまいとは言えないし、普通ではありえない進行方法と言わざるをえません。

ただ、このうまくない表現は、明らかに意図的なもの。
「背景から意味を取り除く」ことで、この映画はストーリーではなく「歌」。ひいては、「歌」によって表現される“「感情」の映画”であることを突き詰めているんだと思うわけですよ。
そして、そこまでして“感情の映画”に仕上げただけあって、登場人物の感情の洪水にガツンと飲み込まれるような圧倒的な映画体験になってしまったわけで。
これはもう、トム・フーパーのマジックに完全にやられちまってます!

ここまで思い切った手法で予想外の映画を作って、それがこれほどまでに人の心に響く作品に仕上がってしまったら、、、製作者としては超気持ちいいんだろうな~。

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というわけで、個人的には超大絶賛したい映画になった本作ですが、「歌」だけが持ちうるパワーってものに感心させられる映画でもありました。

ミュージカルって、正直、現代においてはかなり非現実的な世界で、映画やTVで「普通の言葉で進行するドラマ」を見慣れていると、正直ちょっとだけ「ぷっ。。。人死んだら、急に歌いだしたwww」と笑えてくることもあったりするわけで。
僕もディズニー映画は受け入れていたりするものの、実写のミュージカルにはちょっと笑えてしまうことがあったりもするんですが、今回ばかりは歌による感情表現に完全に飲まれてしまいました。

その要因は、なんといっても本作の「歌」が生歌ってところにあるんでしょう。

普通、ミュージカル映画って前撮りした歌に演技を合わせて作るんだけど、それって要するに実際に映画として公開される画はクチパクってことで。
本作ではそれをやめて、「生歌」にこだわっているとのことなんだけど、その効果が目に見えてはっきりと感じられます。
生歌だからこそ、「ちょっと声が上ずった」とか「寒さで声が震えている」とか、歌の完成度としてはマイナスな部分もあるにはあるんだけど、「感情の表現」としては明らかに正解。

生歌の効果で通常のミュージカル映画よりは「リアルで自然な演技」に寄せたうえで、セリフであればくどくなったり嘘っぽくなったりする言葉を「自然な感情」として魅せるミュージカルの特性もきっちりと機能していて。
一見、奇妙なバランスの映画なんですけど、このバランス感覚は完璧です!

さてここで、「生」がそんなに良いんだったら映画じゃなくて舞台を見たほうがいいんじゃね?」と思う人もいるかもしれません。
ただ、そこで効いてくるのが上述した「役者へのクローズアップを多用したカメラワーク」なんですよ。
舞台じゃ観る事の出来ない細やかな役者の表情を堪能できる。これは間違いなく「映画」の魅力
舞台の「生」感と、映画のディテール。
その2つを同時に堪能できるハイブリッドな作品は本作をおいて他になし!

もちろん、「生歌」は役者への要求がかなり高く、負担にもなるわけで。
そういう意味では、かならずしも「これが正解」とはいえない演出なのかもしれません。
でも、『レ・ミゼラブル』を感情の映画たらしめているのは間違いなくこの生歌効果なんでしょう。
大事なことなのでもう一度言いますが、この映画の演出、「完璧」です!

ちなみに、「歌」に関してはどの役者も素晴らしかったんですが、個人的にはマリウスに恋をしていたちょいブサイクな女の子エポニーヌを演じたサマンサ・バークスの歌唱力、そしてラッセル・クロウの声の魅力に痺れました。
(もう1つ、アマンダ・セイフライドも想像以上に歌がうまい!あの顔であの歌声、そしてあのおっぱい(映画『クロエ』参照)。何なんだ?最強じゃないか!!)

そしてこれは完全に余談ですが、ファンテーヌ役のアン・ハサウェイが髪を切ってぼろぼろになって歌うシーンがありまして。
ここは間違いなく序盤の最重要ポイントで、全体を通してもかなり大事なシーン。
実際、アン・ハサウェイの演技は素晴らしかったんですけど、いかんせんここで歌う「夢破れて(I Dreamed A Dream)」という曲を聴くと、どうしてもスーザン・ボイルを思い出してしまうんですよ。。。
アンハサウェイの真に迫る歌いっぷりに胸を打たれながらも、頭の片隅にスーザン・ボイルの顔が浮かんでは消え、浮かんでは消え。。。
ちょっと集中できなかったのが非常に残念でした。俺はここで泣きたかったよ!

というわけで、またまた感想がクソ長くなってしまいましたが、まあ一言で言えば『レ・ミゼラブル』はスゴイ!映画でした。
「おもしろい」し、「感動した」し、「泣けた」し。いろいろ言いようはあるんですが、「スゴい」という形容詞がこの映画には一番ふさわしい気がします。
それもひとえに、本作の登場人物たちが観客に対してぶつけてくる「感情」のパワーが、そんじょそこらの映画とは比べ物にならないからなんでしょう。
正直、僕がこの映画を観たいと思った理由は、大好きな女優アン・ハサウェイと、最近はまっている女優のアマンダ・セイフライドが共演するというところにグッときただけだったりもするんですが、動機はなんであれ間違いなく観てよかった

ただ、上述したように映画としてはちょっと変わったバランスの映画で、例えばこれを家でDVDで鑑賞するとなると、「偏り」や「バランスの悪さ」の方が目立ってしまうような気がしないでもなくて。
これは、僕自身が久しぶりに映画館で鑑賞したからそう思うのかもしれないけれど、明らかに「映画館で観ること」を前提に組み上げられたバランスであるようにも思えます。
というわけで、この感動はぜひ映画館で味わうことをおすすめします!

さらに、余談。

本作がこういう奇妙なバランスになったのは、「原作を読んでいること」や「舞台版を観ていること」、そして本作の舞台となった「時代背景や歴史的事実を知っていること」が前提にあるから、とも言えるかも知れません。
改心後のジャンバルジャンやジャベールの心の根底にある宗教観もそうですが、一般教養として「知っていて当然」だからこそ、あえてそこを語ることはしない、と。

欧米の映画を観ていると特に感じることですが、日本って国民の全てが知っているような「一般教養」ってういのがあんまりないよな~と思うことがある。それこそ、「古事記」とか「日本書紀」って「聖書」ほど一般的じゃないし。
それに比べると欧米の映画は、「一般教養」を前提に作られている作品が多く感じられます。
そして僕は、その「一般教養」が無いことへの引け目(ようするに欧米コンプレックス!)が結構ありまして・・・。
本作も原作小説を読んでいて、舞台を見たことがあって、歴史観もわかったうえで観たらよりいっそう楽しめたんだろうな~という負い目を感じてしまったりもしたのでした。

いや〜、これからも「この映画を鑑賞する水準に達していない」という疎外感を味合わずに済むような「一般教養」を身に付けたいな〜。

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