映像による究極の“一人称”表現 映画『トゥルー・グリット』ネタバレ感想

トゥルー・グリット スペシャル・エディション [DVD]

最高に盛り上がるシーンすらもどこか冷めたタッチで描かれていて、明らかにメチャクチャ素晴らしい映画なんだけど、「今の僕にはその魅力を完全に理解できてないんだろうなぁ」と思わされる映画だった。

というのも、僕は本作のような「西部劇」と呼ばれる映画をあんまり観たことがなくて、その楽しみ方をほとんど理解していないわけです。
とは言え、「馬に乗って荒野を駆けまわる」とか「酒場の前で早打ち対決」とか「ロープをグルグル回して『とりゃーっ』と投げて、悪漢を捕まえる」みたいなシーンが“いかにも西部劇な場面”であることくらいは、なんとな~く知ってるわけで。
そして、そういう“いかにも西部劇な場面”がほとんど無いの西部劇が本作『トゥルー・グリット』なわけなんだけど、“西部劇”のルールをもっと理解していたら、本作のオリジナリティーにもっとグッとくるんだろうな〜というのが想像できるだけに、なんだか非常にもったいない気分になってしまった。

作品概要

2010/アメリカ 上映時間:110分 PG12
原題:True Grit
配給:パラマウント
監督:ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン
出演:マット・デイモン、ジョシュ・ブローリン、バリー・ペッパー

<あらすじ>
「ノーカントリー」のコーエン兄弟が、ジョン・ウェイン主演の名作西部劇「勇気ある追跡」(1969)をジェフ・ブリッジス主演でリメイク。父親を殺された14歳の少女マッティは犯人を追跡するため、隻眼の凄腕連邦保安官コグバーン(ブリッジス)を雇う。だが、コグバーンは元泥棒で大酒飲みの自堕落な男で、彼を信用できないマッティはコグバーンに同行して犯人を追うことになる。

感想

78 100点満点 scored by ultimate-ezトゥルー・グリット

というわけで、”西部劇”に疎い僕にでも明らかにわかる、“西部劇っぽくない西部劇”。それが本作『トゥルー・グリット』。

それは、例えば「カメラの位置」に現れている。
原作小説の「一人称視点」を映像として完全再現するかのようなカメラワークが徹底されていて、「主人公の少女マティの目が届く範囲しか描かない」という表現が貫ぬかれているのがすごく印象的。
そのため、“西部劇的な見せ場”となりうる銃撃戦さえも、その時マティが遠くから見ているのであれば超ロングショットで全体の俯瞰を見せるだけで。
距離が遠くて、よく見えないしよく聞こえない。銃撃戦の迫力は全く感じられない作りになっているわけです。

また、マティは、父を殺した悪党トム・チェイニーへの復讐のため、二人の男コクバーンとラビーフと共に旅をするんだけど、この二人が見た目も経歴も「只者ではない」感に溢れてはいるものの、明らかに「小物」なトム・チェイニーにあっさりと逃げられてしまうようなダメな二人でして。。。
少なくとも終盤までは、二人とも「口ばっかりのダメなおっさん」にしか見えないんですよ。
そんなダメな二人なもんで、結局、序盤〜中盤には二人の画的な見せ場っていうのはなくて、ただ単に二人が「武勇伝」を語るシーンばかりが続くことになる。
そして、「マティの一人称視点以外は描かれない」という映画のため、「二人の武勇伝」は映像として再現されることはなく、あくまで「コクバーンとラビーフが武勇伝を語っている様子」(それを見ているマティ)ばかりが描かれるわけで。
つまり、ここでも「映画的(西部劇的)な見せ場」ってのは一切無くて、物語の展開は話芸によってのみ作られているとういわけなんです。

ただ、こうした「決して映画的とは言えない表現手法」を使って、画的に盛り上がる場面が無い映画にも関わらず、全く退屈することはないのが本作のスゴいところ。
これは、まさに本作『トゥルー・グリット』が、徹底的に丁寧で高品質に作られているということの証明ってことなんでしょう。

うまく説明できているのかよくわかりませんが、素晴らしい!

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ちなみに、「全編会話だけで展開する高品質の映画」と言えば、デヴィット・フィンチャー監督の傑作『ソーシャル・ネットワーク』を思い出してしまう。
そう。
現代劇と西部劇で、舞台や根本的なテーマは全く違う二作品だけど、映画としての雰囲気だけを見ると『トゥルー・グリット』と『ソーシャル・ネットワーク』はよく似ている気がする。

どちらも画的には静かな作品ながら、明らかに一般的な映画の数倍の“言葉”が詰め込まれている作品で。
そして、言葉過多なせいで、決してわかりやすい映画とは言えないところも似ている。
それでも、『ソーシャル・ネットワーク』を初見から素晴らしい映画だと思えたのは、舞台となるIT業界という場所や、Facebookが世界を巻き込んでいく過程を少なからず知っていたからなんだと思う。

一方の『トゥルー・グリット』は、前提となる“西部劇の定石”を知らない僕にとっては「話している内容」や「起こっている出来事」の把握がちょっと難しい映画で。
そのため、一回通して観たくらいでは、本作の魅力の半分も感じることが出来ていないんだろうな〜と思えてしまう。
うーん。悔しいです!!

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ただ、「本作に対する理解が足りない」という自覚はありながら、本作への不満点もあったりする。
それは、クライマックスのある演出について。

先述したとおり、本作は徹底して「マティの一人称視点」が貫かれているんだけど、一箇所だけマティの視点ではありえない、映画的に盛り上がる画が入ってしまっているのがちょっとだけ気になるのだ。

その盛り上がるシーンっていうのは、汚いジジイであるコクバーンが「口で手綱を掴んで馬を操り、二丁拳銃で4人の敵と決闘するところ。

いや、まあ、「口ばっかりのどうしようもないヤツだと思っていたじじいが、実は本当にスゴイやつだった!」、さらに言うと「グダグダのじじいが、マティのために立ち上がることで“真の勇気(トゥルー・グリット)”を見せた!」(ついでにラビーフのスナイパーショットもかっこよかったね!)っていうシーンで、「うぉぉぉ、かっけぇぇぇ!!!」とテンション上がりまくるシーンであるのは間違いないんですけどね。

ただ、遠くの「西部劇的なドンパチ」より近くの「穴に落ちてヘビに噛まれた」を詳細に描いたり、毒にうなされているシーンでは「映画全体のトーンに合わない幻想的な画(つまりはうなされているマティ視点)」を入れるほどに徹底していた“マティ視点からの描写”を曲げてしまったのは「残念」と言わざるを得ない。

まあ、このクライマックスシーンが無かったら、さらに「映画的盛り上がりが皆無な映画」になってしまうけれど、本作はそこは貫ぬくべきなんじゃないのかな〜、と思ってしまった。
ま、「僕はこの映画を理解できていない!」と宣言したばかりなので、このクライマックスシーンをドラマティックに描いた理由があるのかもしれないんですけどね。

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そんな感じで、「明らかに素晴らしい映画」であるにも関わらず、その「素晴らしさ」を100%理解することができていないという、非常に歯がゆい思いを味わされた映画『トゥルー・グリット』。

ただ、「目指せ映画通!」的なテンションで『死ぬまでに読みたい映画1001本』という本を参考に映画を観始めて、その1作品目から「僕には“まだ早い”映画」に出会えたことが、非常に喜ばしくもある一作だった。

名作映画1001本の山は、高くて険しい。
ただ、この山を登り切った後に、改めて『トゥルー・グリット』をもう一度観たら、どれほど素晴らしく感じるんだろう?と考えると、ドキドキが止まらない。

そういう意味で、スタートとしてはかなり理想的に、『死ぬまでに観たい映画1001本』への挑戦が始まったのでした。

余談ですが、、、

さて、『トゥルー・グリット』を見終えたところで、件の本『死ぬまでに観たい映画1001本』の記載内容をチェックしてみた。

様々な感情や出来事と共にあるのは、デイモンのぺったりした風変わりなヘアスタイルから、「ママ・・・彼女は猫って書くことさえできないんだ」といったコーエンお得意のユーモアだ。
コーエン兄弟は物語と勇気の賛歌を作るために、宗教的な象徴主義と安売りショップ風のスリラーを巧みにブレンドした。
―『死ぬまでに観たい映画1001本』P.943―

うーん。これは。。。
翻訳が微妙すぎる!!

正直、僕の英語力的にはかなりの背伸びが必要なものの、英語版の書籍を買うべきだったかも、とちょっとだけ後悔。
なんせ英語版は、2800円程度と安価(日本版は約5000円)。
さらに、日本版では改訂新版が発売されるのに8年もかかっているのに、英語版は毎年リニューアルされてるんだよな〜。

まあ、この本はあくまでリファレンスとして使って、掲載されている記事がヘボいのは妥協するしかないのかもしれないですけども。。。

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