『芋虫』のようだが、『芋虫』には遠く及ばず。。。 映画『キャタピラー』ネタバレ感想

若松孝二監督の訃報を聞き、そういえばかなり話題になったのにまだ観ていなかったな〜と思い手にした本作『キャタピラー』。
僕は長崎の出身で、幼い頃からよく聞かされていた原爆の話がトラウマのようになっていて、「戦争映画」というジャンル自体が結構苦手。
そういう苦手意識と闘いながら観た本作ですが、、、う〜ん・・・。
なんだかこのタイミングで作品にケチをつけるのも人としてどうなのか?とも思いつつ、どうにも納得のいかない作品でした。

作品概要

2010/日本 上映時間:84分 R15+
配給:若松プロダクション、スコーレ
監督:若松孝二
出演:寺島しのぶ、大西信満

<あらすじ>
第2次世界大戦中の日本。シゲ子の夫・久蔵にも赤紙が届き、勇ましく戦場へと向かったが、戦争から戻った久蔵の顔は無残にも焼けただれ、四肢を失っていた。村中から奇異の目で見られながらも、多くの勲章を得た久蔵は「生ける軍神」として崇められ、シゲ子は戸惑いながらも久蔵の尽きることのない食欲と性欲を埋めていく。やがて日本に敗戦の影が色濃く迫り、久蔵は自ら戦場で犯した悪行に苦しみ始める。

感想

48 100点満点 scored by ultimate-ezキャタピラー

冒頭で書いたように基本的には「納得いかない」という感想を持った作品で、いろいろと不満があるんだけど、それは後述。
まずは、本作でグッときたところを褒めるところから始めたい。

この作品、タイトルが出るまでのシーンが実に素晴らしい。
「Jホラー的演出」と言うんでしょうか、本作の重要なキモである「四肢を失った男」の姿をなかなか見せずに、物語を展開させている。
言葉を失う親族。「あんなの久蔵さんじゃない!」と叫ぶシゲ子。
画面に登場しないからこそ、画面外に確かに”異物”が存在しているというジットリとした臨場感があり、はっきりと「恐怖」を感じる映像に仕上がっていた。
「差別はいかん!」とか「戦争が悪い!」とか、そりゃまあもちろんそれが正しいんだろうけど、あのレベルの傷痍軍人ってやっぱり怖いと思っちゃうのは仕方ないことで。

突き付けられる恐怖感と、それを良くないことだと感じてしまう自分との葛藤を芽生えさせるような、秀逸なオープニングだった。

さらに、久蔵が四肢を失った理由も凄かった。
久蔵の怪我は「お国のために戦った故の武勲」として伝えられているけれど、実は、侵略した中国人の村で、村の女を強姦している最中に火事に巻き込まれ、負った怪我なのだ。
日本軍の蛮行の描写から「ん?これは反日映画なのか?」という疑問も頭をよぎるけれど、この怪我の真相についての展開は予想外で衝撃的だった。

ただ、ここでの予想外な展開のせいで、作品全体のテーマがよくわからなくなってしまっている気がする。
この映画について、「戦争に翻弄された1組の夫婦の姿を通して、戦争の愚かしさと悲劇を描いている」なんていう説明を聞いていたんだけど、どうも、そのメッセージを素直に受け取ることが出来ないのだ。

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要するに、「戦争の愚かしさと悲劇を描けていないよ!」ってことなんだけど、その最大の要因は、久蔵が戦争に行く前からサディストだったというところにある。
この設定があるせいで、もともとろくでもない男だった久蔵が、戦争に行ってろくでもないことをした結果、ろくでもないことになって帰ってきたという、自業自得なお話に見えてしまって。

ここはそうじゃなくて、もともと真面目で妻に対しても誠実だった男が、「戦争」という極限状態の中でああいう行為に手を染め、しかもその最中の怪我でああいう体になって・・・と展開するのであれば、「戦争の愚かしさと悲劇性」というテーマがもっと鮮烈に浮かび上がったんじゃないだろうか。

また、そもそもこの映画のテーマは「反戦」なんてわけじゃなく、力関係が逆転していくなかで歪んでいく女の狂気を描いた作品だという風にも見えるんだけど、それなら、今度はカットインする戦争描写がノイズになってしまう。
もちろん、「そういう時代だから」という言葉があらゆる理由になる時代で、時代感の描写として必要なのはわかるけれど、あそこまで執拗に戦争の描写を入れることに必然性は無いはずだ。

というわけで、(これは僕の理解力が不足しているだけのかもしれないけど、)『反戦』『女の狂気』という二つのテーマがうまく溶け合わずに存在しているせいで、作品全体としてのテーマがぼやけて、わかりにくく思えてしまった。

さらに言うと、クマさん演じる狂人が、これまた完全なノイズにしかなっておらず、作品のテーマをぼやけさせる要因の一つに過ぎなかった。

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では、この「溶け合わない2つのテーマ」なんだけど、これは、本作『キャタピラー』という作品が、二つの元ネタを持っているからこそ生じているものなんじゃないかと思う。

その二つの元ネタとは、もちろん映画『ジョニーは戦場へ行った』と、江戸川乱歩の短編小説『芋虫』。
どちらも原作としてクレジットされているわけではないけれど、『キャタピラー』がこの2作品を下敷きに作られた作品なのは疑いようがない。

さてこの2作品。
表面的なビジュアルはよく似ている両作品なんだけど、扱われているテーマは全然違っている。
ざっくり言えば、『ジョニーは戦場へ行った』は反戦映画で、『芋虫』は「人間のエゴ、醜さ。そして、それが一周した先の官能と倒錯した美しさ」がテーマの小説だ(と、思う。もちろん、「芋虫」を反戦小説だと捉えていて、『ジョニーは、、、』と同じテーマだと考える人もいると思う。)。

どちらかのテーマに偏っていれば、『キャタピラー』という作品も、テーマがはっきりと浮かび上がったのかもしれない。
それがどっちつかずなもんで、結局「何が言いたいのかわからない」という事態に陥ってしまっているのだ。

そして、僕個人の意見を言えば、『ジョニーは、、』には特に思い入れはないものの、江戸川乱歩の『芋虫』って僕が大好きな作品なんですよ。
『芋虫』っていう作品は、四肢を失った醜い男と、醜い女の醜い行為が、なぜか官能的で美しく見えてくる部分に、妙な魅力があるんですよ。
そして、その「美」って言うのは、『芋虫』が文学だからこそ生まれてくるもので。
と言うのも、「醜い」という点では、まあ『芋虫』に忠実なキャストともいえる寺島しのぶなんですけど、やっぱり“文学的に美しいもの”を視覚的に表現しても、文学と同じ次元で『美しい」と思えるかといえば、、、当然そうは言えないな~と思うのでした。

というわけで、なんだか最終的に寺島しのぶの悪口を言っただけみたいになっちゃいましたけど、どうにも消化不良な後味を残す映画だった『キャタピラー』。
もちろん、最悪というわけではなく、冒頭に書いたように心引かれるシーンもあったんだけど、作品として一番重要なはずの「テーマ」の部分が「よくわからない」というのが、致命的でした。

今更ですが勝手な意見を言わせてもらうとすれば、、あの『芋虫』の文学性を映像化するのはどう考えても不可能なので、はっきりと「反戦」に寄せて、戦争で壊れていった男女の姿のみに焦点を絞って欲しかったなーと思うのでした。

そして、これまた超個人的な感想ですが、これまでこういう「体の自由を失った人の話」を観た時って、「自分がこうなったらどうしよう?」という恐怖が頭をよぎって夜眠れなくなったりしていたんだけど、今は「子供がこういう姿になった時、僕はちゃんと愛せるだろうか?」という想いで夜眠れなくなって。
そうい自分の考え方の変化に、ちょっとだけ感動を覚えたのでした。

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